16FIELDPLUS 2017 01 no.17姿勢のよい闊歩 ケニアの首都ナイロビ。中心部を南北に走るモイ・アベニューの西側には、官公庁や高級ホテルが立地するビジネス街。モイ・アベニューのすぐ東側を平行に走るトム・ンボヤ・ストリートを越えると、いかにもダウンタウンという、ややもすれば危険な香りのする雑踏地区。熱気の中を歩き疲れて古い安飯屋の二階に上がり、パッションフルーツのジュースなどを飲みながらこの対照的なエリアを見渡すと、ふと気づくことがある。左手に見えるビジネス街を行くエリート風も、右手に見える雑踏でバックパッカーにちょっかいを出す若者も、みな胸を張り背筋をピンと伸ばして颯爽と闊歩しているのである。強い日差しや喧騒、さまざまな色彩、匂い。街の活気を演出するそういった環境要因が引き立てている面はあろうが、彼らの歩く姿は、ニッポンの通勤風景に見られるようなそれとは全く異なった印象を与える。 この「姿勢のよい闊歩」は、大都会ナイロビだけに見られることではない。ナイロビと比べるとどことなく垢抜けない印象の(それが私の愛着につながっているのだけれど)タンザニア最大の都市ダルエスサラームでも、あるいは私の調査地であるキリマンジャロの山の中の農村地帯でも、その印象は基本的に変わらない。そしてそれは、私がアフリカに初めて足を踏み入れたときから、時間を超えて変わらない印象でもある。20世紀の最後の年から東アフリカに通っているが、そのころから現在までに生じた社会的、経済的な変化を数え上げたらキリがない。いわゆるグローバル化によってもたらされた外来のモノ、制度、価値観が人々のライフスタイルに陰に陽に浸透し、もはや顧みられなくなったかつての習慣も少なくなかろう。それでも、「姿勢のよい闊歩」は変わらないように見える。アフリカとステレオタイプ 例えば、そんな風景をテレビ番組で放送するとしたら、「このように、アフリカの人たちは困難な状況や厳しい日々の暮らしにも負けず、前向「姿勢のよい闊歩」はどこから来てどこへ行くのかバントゥ諸語の語彙分布から探る品川大輔しながわ だいすけ / AA研東アフリカのフィールド調査では、しばしば人々の歩く姿に目を奪われることがある。彼らの背筋を伸ばした「姿勢のよい闊歩」を出発点に、「頭に物を載せて運ぶ」所作、その所作を表す語の広がり、そして社会環境の変化とことばについて、あてのない散歩をするように考えてみる。あるく 2バントゥ諸語言語地図。(出典:Nurse (2001) “A Survey Report for the Bantu Languages”, SIL International, http://www-01.sil.org/silesr/2002/016/silesr2002-016.htm)。Binyavanga Wainainaの風刺的短編How to Write about Africa。作者は、TIME誌の「世界で最も影響を与える100人」(2014年)に選ばれたことでも知られる現代作家。頭上に苗を載せて優雅に歩く女性。調査に向かう途中、マーケットから流れ出る人波の先に左右にしなる枝を発見し、それがあたかも頭から生えているように見えてなんとも可笑しみを誘う図であったが、小走りに近づくと、彼女の歩き方のなんとも優雅なことにしばし見とれる。ダルエスサラーム市内の幹線道路沿いで水を売る男性。渋滞で停車中のバスやタクシーの乗客を相手に商売をする。事情を話して写真撮影のお願いをしたら、頭に載せたままの状態で快く撮影に応じてくれた。
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