14FIELDPLUS 2017 01 no.17中央アジアの山岳氷河との出会い 筆者は、これまで中央アジアの天山山脈やヒマラヤのアジア高山域において、氷河変動や山岳永久凍土の分布、それに関わる地形・雪氷災害についての研究をおこなってきた。もともと学生時代に登山や野外活動に明け暮れていたその延長でこの世界に入った。フロンティアとかパイオニアワークなどにずっと憧れがある。 はじめて中央アジアに足を踏み入れたのは1994年の夏だった。ザラフシャン川をボートで全流踏査するという活動計画の下見に行ったときのことである。タシケントでは現地の協力者を探して歩きまわった。翌年、協力してくれたウズベキスタンのカヌー協会の仲間たちとザラフシャン氷河からペンジケント~サマルカンド~ブハラまでの全長500kmをゴムボートで漕いだ。下見のときに、初めて氷河を見た。川の源流となるザラフシャン氷河は、周りの岩壁から生産された岩屑でその表面が覆われたデブリ氷河と呼ばれるタイプで、自分の思い描いていた真っ白な氷河と異なり、まるで工事現場のような光景だった。ブータンでの氷河湖決壊洪水調査 山岳地域での調査は歩くことが基本である。筆者がこれまでにおこなってきた調査でも、最終目的地にたどりつくための手段は徒歩または馬(もしくはロバ)であるため、ひたすら歩くことが多かった。重い調査道具を背負って目的地までたどり着くだけでも一苦労である。ザラフシャン川のデブリ氷河に衝撃を受けて以降、中央アジアに通い続けて20年以上になる。さすがに、近年は自問自答するほど無茶な歩き方はしなくなったが、大学院生の頃は毎夏よく歩いたものである。 特に、思い出されるのは1998~2000年の夏のことである。1998年に筆者は博士課程1年生だった。5人の小規模パーティの合同調査隊に参加して、ブータンのヒマラヤ山脈沿いに発達する30もの氷河湖を調べた。毎日10~20kmほど歩き、氷河湖に寄ってはその状況を観察するというフィールドワークで、ブータンのパロからトンサまでの、ヒマラヤ地域で最長のトレッキングコースであるスノーマントレック(400km)を踏査した。その年は、それに先立ち、中央アジアで1ヶ月の調査をおこなっていたため、本当によく歩いた夏だった。当時はまだ、Google Earthが公開される前だったし、今でこそフリーで手に入る衛星画像はとても高価で、学生が気軽に購入できるものではなかった。現地のことは現地に行ってみるまでわからないという状況だったため、毎日見る現場はとても新鮮に感じられた。1999年と2000年は中央アジアでイスラム武装勢力が活発な時期で、ちょうど戦闘現場近くにいたため博士課程在籍時に2回もあるく 1山岳地域を歩く奈良間千之ならま ちゆき / 新潟大学これまで天山山脈やヒマラヤなどのアジア山岳地域を歩いてきた。両者の現場に行くと、様々な違いがあることに気づく。実際にフィールドを歩いて現場を知ることが研究のベースになっている。ズンダン西氷河湖の出水後の様子。水位は21m低下した。2008年7月撮影。ズンダン西氷河湖の出水後の様子。広大な牧草地は一瞬にして洪水堆積物でおおわれてしまった。2008年7月撮影。ズンダン西氷河湖の発達の様子。Landsat7と陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)の衛星画像を使用した。ジェル・ウイ村の村人に配布したキルギス語で書かれたワークショップ資料と氷河湖インベントリ。キルギス語で書かれた資料の一部を抜粋。
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