FIELD PLUS No.17
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11FIELDPLUS 2017 01 no.17よくとらえている! と思った瞬間に電源が落ちた。みんなの口からため息が漏れたことは言うまでもない。 映像加工には相当な電力を使うらしい。厳しい現実を突きつけられた私たちは計画を変更し、貴重な電力は撮影機材の充電のみに使うことにした。当初の計画はカシャムジャ監督を朝から晩まで酷使するものだったので、これでよかったのである。忘れられない夜 監督が調査チームに加わってよかったことはたくさんある。言葉の壁がないことは大いに有利に働いたし、監督自身が牧畜文化に敬意を持って撮影に臨んでいたことは、調査地の家族にもよく伝わっており、撮影はスムーズに進んでいった。監督が撮影した映像をビデオカメラで再生してみせると、現地の人たちは楽しそうに眺めていた。うまくいっていると思っていた。あの晩までは。 撮影と調査が進んで、何日か経ったある晩、夕食後の団らんのひととき、その家のご主人が口を開いた。今撮っている映像はどうするつもりだ、と。辞典に収録するつもりであることは伝えてあったが、何か気になることがあったのだろうか。厳しい顔つきにその場が凍りついた。 話を聴くうちにご主人の不安が分かってきた。今、チベットの若者たちの間では映画熱が高まっており、撮影したものをインターネットに簡単にアップロードしてトラブルが沢山起こっているのだという。嫁入り前の娘もいるというのに、もし自分の家族の映った映像がネットに流出などしたら困るというのだ。私たちはそのようなことはしないと約束し、出来上がった映像も観てもらって許可を得たもののみを、ご主人の納得するやり方で使用するつもりだと必死で伝えた。 この経験は私たちの心に深く刻まれることとなった。倫理的な問題はなおざりにしてはならない。調査する側とされる側で、十分に話し合うことが必要だ。その夏は苦々しい思いとともに調査地を離れることとなった。「映画にすればいいのに」 半年後の冬、私たちは編集して1時間半ほどの長さとなった映像を持って調査地を再訪した。ご主人や家族のいる場で上映会をすることになった。私たちにとっては重要な研究成果ともいえる映像だ。認められなかったらどうしようと心配でたまらなかった。 上映がはじまるや、その場の人々はみんな釘付けだ。実は映画狂だというご主人は身を乗り出して観ている。終始にこやかで、ときどき楽しそうに声を上げて笑ったりして、「いい作品になったなあ。映画にすればいいのに」などと言うのだった。ほっと胸をなでおろした私たちは、最後に映像の使用について切り出した。ご主人はきっぱりとこう言った。「日本でも海外でも、牧畜文化に関心のある人たちに見せるなら何の問題もない。ただ、ネット流出だけは避けるよう気をつけてくれ」 よかった。オンラインのデータベースに映像を載せることはできなくなったけれども、学会やシンポジウム、企画展など、さまざまな場所で私たちが上映することに問題はなくなった。ご主人に深く感謝した私たちだった。そして今後 映像つきのマルチメディア辞典を作るつもりだった私たちの計画は変更を迫られることになったが、よい映像資料さえあればイラストに起こすこともできる。辞典としてはそれで十分なのかもしれない。辞典編纂はまだ道半ばだ。現地の人々と手を携え、「団体戦」の良さも活かしつつ、よいものを作っていきたい。完成した映像に見入るご主人の父親。村の人々に尊敬される密教行者だ。映像は雨の降る中、雨雲を移動させる祈祷をしている様子(撮影:星 泉)。山の神に祈りを捧げるための焚き上げの様子を撮影中。香りのよいビャクシン、煎り麦、ミルク茶、麦こがし、お酒の他に、この日はその日作ったバターのお初をお供えしている。朝晩の焚き上げはご主人の大事な仕事だ(撮影:海老原志穂)。映像クリップ集より、チーズ作りの様子。いわゆるカッテージチーズである。袋のまま外に吊るして水切りをし、シートに広げて乾燥させる(撮影:カシャムジャ)。楽しげに映像を確認するご主人の長女(左端)と姪の娘。長女は搾乳から乳加工、水汲み、放牧、糞加工、料理と何でもこなす(撮影:海老原志穂)。真剣な表情で映像を確認するご主人(右)(撮影:小川龍之介)。

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