FIELD PLUS No.17
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10FIELDPLUS 2017 01 no.17からないので、いつでも臨戦態勢でいる必要がある。ヤクに詳しい男性が訪ねてきた!糸撚りの得意な女性が来た! 午後には植物に詳しい行者さんに会える! といった具合である。調査を始めるとなれば担当者が項目リストを手にメインで調査、脇では調査票に書き込む人がスタンバイ。誰かがカメラや IC レコーダー、ビデオカメラを手際よくセットする。夜はその日の調査を振り返り、調査票に追加情報を書き込んだり、チベット語の綴りを確認したり、自分のメモをノートに清書したりと、大忙しだ。そんな毎日を過ごすうちに、現地で受け入れてくれた家族とも馴染み、調査チームの役割分担もうまく回るようになっていった。記録をいかに伝えるか こうして豊かな牧畜文化の語彙を記録し、私たちの知識はみるみるうちに増えたのだが、難しいのはその先、牧畜文化を知らない人にその記録をいかに伝えるか、という点だ。私たちがもともと構想していた辞典は写真や動画などを使って、文字では伝えきれないものを表現するマルチメディア辞典である。映像媒体はうまく使えば非常にパワフルだが、素人の私たちにとってはうまく撮影するのはとても難しい。 ちょうどよいタイミングで、チベットでドキュメンタリー映像作家として活躍しているカシャムジャ監督をAA研に招き、彼の制作した映画『英雄の谷』を上映することになっていたので、来日の折に相談したところ、なんと彼自身が撮影担当として調査チームに同行してくれることになった。映像化したいのは何だ? かくして2年目の現地調査では、牧畜民の暮らしを撮影することとなった。撮影はプロに頼むわけだが、私たちは撮ってほしいシーンやイメージを固めなくてはならない。何もかもを撮影することは無理なので、牧畜民の1日の暮らしの中で重要な場面のうち、映調査は団体戦 2014年8月、複数の分野の研究者からなる私たち研究チームは、チベットの牧畜文化を余すことなく記録した辞典を作ろうという夢を抱き、初めての現地調査に臨んだ。研究チームで一番の若手で、チベット人留学生のナムタルジャ氏の実家や親戚、友人の皆さんにお世話になるのだ。分野が違うだけでなく、言語能力も現地経験もみなバラバラ。何度も打ち合わせをし、事前合宿もこなし、準備は積み重ねてきたが、うまくいくのか不安でいっぱいだった。 私は団体で調査すること自体初めての経験でひどく緊張していたが、その場で判断しながらうまくやるしかないと腹をくくった。まず誰が調査の相手をしてくれるか分像でどうしても伝えたいところを選んで撮影してもらおうということになった。中でも外せないのが朝晩の搾乳や、バターやチーズ、ヨーグルト作りといった乳加工の様子、燃料糞作りなどだ。こうした伝統技術についてはぜひとも手元をしっかり撮影してほしい。なぜならそうした映像は、現地の人々が将来的に牧畜文化を発展的に継承していく際の基礎的な資料になりうるからだ。 カシャムジャ監督と現地で合流してから、私たちは何度も話し合って撮影内容を固めていった。チームの中に映像制作のプロフェッショナルが加わったことで、私たちの目的意識はより一層はっきりとしたものになっていった。電力が足りない 実は調査地は水道もガスも、電気も通っていない山の上だ。水は女性たちがポリタンクを背負って汲みに行く。ガスはないので女性たちがヤクの糞を拾って草地に広げ、乾燥させて作った燃料糞で火をおこす。電気は太陽光発電したものを蓄電して使っている。撮影隊と化した私たちにとって一番の問題は電力だ。私たちの当初の計画は、昼間撮影したものに、夜間必要な変換や加工を施して、効率よく作業を進めていこうというものだった。そのために夜間の作業用にデスクトップ・コンピューターも持ち込んでいた。お世話になっているお宅の電力を使い尽くしてはいけないと思って、ソーラーパネルも持ち込んだ。 1日目の朝の撮影が済んでしばらくすると、作業小屋として設営したテントにみんなが集められた。短い映像を加工したので観てみようというのだ。女性がヤクの糞を草地に広げている映像が画面に映し出された。さすがプロ、細かな手の動きまで実に朝、搾乳を待つ雌ヤクたちと糞拾いをする女性たち。そしてそれを撮影するカシャムジャ監督(撮影:小川龍之介)。映像クリップ集より、ヤクの糞を燃料にするために加工中の女性たち。カシャムジャ監督には手元を入念に撮影してほしいと依頼した(撮影:カシャムジャ)。バター作りの様子。バターの中からタンパク質を取り出すためによく水洗いする(撮影:星 泉)。学際的なチームで現地調査を進めるうちに、餅は餅屋に任せようと気づいた私たち。撮影を現地のプロフェッショナルに依頼して、満足のゆく映像作品ができたけれども、忘れてはいけないことがあった。映像による記録とその功罪星 泉ほし いずみ / AA研

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