FIELD PLUS No.17
11/36

9FIELDPLUS 2017 01 no.17類があり、かつてチベットの牧畜社会になくてはならない存在だった。 ここでラの基本構造について説明しよう。素材はヤクの毛の織物だ。幅20数cmの反物を「レデ」という。レデをはぎ合わせてラを作るので、レデの枚数によって様々な大きさのラを作ることができる。はぎ合わせた布地を木の柱で下から支える仕組みになっている。天井には、雨が降った時に閉じることができる換気や採光のための天窓が開いており、かまどの煙突を出すこともできる。ラは正面が南向きになるように建てられる。ラの内部はかまどを中心に男性側と女性側の二つの居住空間に分けられる。男性側には仏壇をはじめとする宗教関係のものなどが置かれ、女性側には搾乳桶や台所用品、食器棚などが置かれる。中央のかまどで料理をする。 このような簡便な構造で牧畜民に長らく愛用されてきたラであるが、1958−83年の間、社会主義政策のもとで牧畜の集団化が進められ、伝統的な牧畜生活は中断を余儀なくされた。1984年になると、今度は家畜と草地が個人に分配される政策が進められ、牧畜民たちは与えられた土地の中で半定住の状態となっていった。村や、放牧を共にする「ルコル」(集団)という共同体中心の生活から個人単位で牧畜業を営むようになったのである。 1990年代に入ると、政府はモデルとして牧畜民の冬営地にレンガ造りの建物や家畜囲い、人工の草場などの建設を進めた。それらは牧畜地帯に初めて建てられた建造物となった。その後、牧畜民は自らの手で、冬営地を中心に、土を突き固めて作る土造りの建物を建てるようになった。夏は夏で、白い帆布製の白テント「リカル」を使用する牧畜民が増えた。2005年から生態移民政策に基づく移住が始まると、牧畜をやめる人が増え、それに伴い、黒テントは激減し、今ではほとんど見られなくなった。 そういう状況の中、都市へ移住した牧畜民たちは労働力として人に雇われたり、中には新しい技術を身につけたり、商売のやり方を学んだり、運転手をしたりして、牧畜以外に技術がなかった牧畜民たちも転職しつつある。 都市部に移住した人々はすでに固定家屋に住んでいるが、窮屈に感じる人が多いようだ。ラを使う必要がなくなっても捨てずに大切に保存している世帯が多い。牧畜民にとってはラこそが家だからである。 実は今、夏の一時期だけ固定家屋を抜け出し、ラを張って暮らす人々が少しずつ増えている。私たちは調査中に偶然そうした人々とめぐり逢い、ラがないゆえに調査できずにいた単語を50ほど一時に集めることができた。悲喜こもごもの調査体験だ。ヤクの毛で作った伝統的な黒テント「ラ」。細長い反物「レデ」をはぎ合わせている。ラの中心にはかまどがある。燃料はヤクの乾燥させた糞だ。牧営地に建てられた土造りの家。レンガは高原では手に入りにくいため、土を突き固めて外壁を作る。その上に、近くから採ってきた白土を塗り込める。最近めっきり減った黒テント。奥に帆布製のテントが見える。近隣の農耕地帯に建てられた移民村。レデを織っている女性。今はこうした姿もほとんど見られなくなってしまった。※写真はすべて筆者撮影。

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る