FIELDPLUS 2016 07 no.1629 話』(東京外国語大学出版会、2015年)を含めて4冊になる。2013年から刊行を続けている『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)。青海省西寧市内にあるチベット語書籍を扱う書店。経営者は詩人であり批評家のショクドン氏。狭い店内はいつもチベット人で賑わっている。史物語、民話、伝記、歌舞劇などの数々の作品が生まれた。詩文の世界では、チベット語への翻訳を通じてもたらされたサンスクリット文学の影響のもとに、詩論と修辞学の伝統が確立していた。かつてのチベットでは文字の読み書きができるのは僧侶や貴族らに限られていたので、詩文に親しんでいたのもそうした人々だった。彼らは芸術的な修辞法を発展させ、口承文芸の世界とは乖離した独自の文学を築きあげていた。 しかし1980年代以降、学校教育が普及し、一般の人々が文字で書かれた文学に触れるようになると状況は一変する。80年代初頭からチベット語の文芸誌が次々と創刊された。中でも熱狂的な人気を集めていた作家がトンドゥプジャである。口語を交えつつ、古典的な修辞技法も取り入れ、平易ながらも流麗なチベット語で文学作品を書くことにこだわったこの作家は、格調高い詩文の世界と一般の人々が親しんできた口承文芸の世界をつなぐ役割を果たした。これを契機に、一般の人々にとって手の届かなかった文学が一挙に身近なものになっていった。 この時代、若者たちの間では文学ブームが巻き起こり、学生たちはこぞって詩や小説を書くようになった。現在活躍中の40代以上の作家たちはほとんどがこうした共通の経験を持っている。この時の熱気が初期の創作の原動力だったと回想する作家は多い。何語で書くのか? ところで、チベットの作家はチベット語で書くのが当然のように思えるかもしれないが、事情はもっと複雑である。チベット文学研究の第一人者であるジャバ氏(北京・中央民族大学)によると、同じチベット人でも、受けた言語教育によって作品を書く際に使う言語も、また文学の世界で果たす役割も異なるという。 確かにチベット人子弟でも、家の方針によって小学校から大学まで漢語教育のみの世界に進む者もいる。彼らは主に漢民族の文学や、漢語に翻訳された世界の文学に親しみ、自ら文学作品を書く場合は漢語ということになる。作品は往々にして故郷の文化を背景としたものであり、漢語読者がチベット文化に触れる機会を提供する役割を果たしている。 一方、大学までチベット語教育を受けた人であれば、学校でチベットの伝統文学を学ぶ機会もあるし、関心があれば単行本や文芸誌、インターネットに発表されたチベット語作品をリアルタイムで読み、自ら詩や小説を書く場合はチベット語で書くのが当たり前という言語状況になる。彼らは漢語での教育も受けてきており、今や漢語を通じて世界の文学にアクセスすることができるので、複数言語の世界を行き来できる強みを持っている。こうした環境の中で、伝統的な文学の世界を意識しつつ、そこからの離脱を図りながら、チベット語文学を更新し続けているのだ。 創作活動の最前線 では現在活躍中のチベットの作家たちはどんな創作活動をしているのだろうか。私は主にチベット語で教育を受け、チベット語で作品を書く作家を追いかけているので、そうした作家の中からペマ・ツェテン(1969−)とラシャムジャ(1977−)を紹介したい。 ペマ・ツェテンはチベット語でも漢語でも書き、翻訳も手がけ、さらには映画の世界でも活躍することで、言語やジャンルの壁を自ら乗り越える稀有な作家である。流麗な修辞技法を廃した、飾り気のないシンプルな文体が大きな特徴である。時に民話風にもなる語り口は平明だが、読む人の心に刺さる、内容で読ませる作品を書く。伝統と近代の相克や異民族の狭間における人々の葛藤と変化に対し、温かくも鋭いまなざしを投げかけている。最近はおそらく戦略的に、漢語で作品を発表し続けており、漢語読者のチベットへの関心を大いに惹きつける役割を果たしている。 ラシャムジャはチベット語で書くことに強いこだわりを見せる作家である。ペマ・ツェテンより少し下の世代にあたるこの作家は漢語を通じて世界の文学を貪欲に吸収し、チベット文学に新風を吹き込んでいるだけでなく、チベット語表現の革新をも射程に入れている。彼も含め若手作家のチベット語は、より上の世代から、漢語に影響され過ぎていると批判されることも多い。しかしラシャムジャは、旧態依然としたチベット語では書けないものもあるし、チベット語も時代にあわせて変わっていかねばならないのだから、自分は新たなチベット語を創造する一翼を担うつもりだと語っている。地域の覇権言語である漢語という存在と積極的に対峙することでこそ生まれるものがあるに違いない。若い作家たちにはチベット語文学の新境地の開拓を期待したい。 黎明期を脱したばかりのチベットの現代文学。新しい作品が次々と誕生し、作家たちが試行錯誤しながら発展していくところを目撃し、作家とも直に交流することができるのは幸運だ。文学の専門家ではないけれども、たまたまこの幸運を享受できる立場にいる者として、翻訳や現地レポートを通じてチベットのいまを伝えていきたいと思う。
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