FIELD PLUS No.16
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26FIELDPLUS 2016 07 no.16フロンティアひらがなを数えなおすひらがなは何文字あるのか 岡田一祐 おかだ かずひろ / AA研特任研究員 明治以前のひらがなはいまとちがって無数にも思えるさまざまなかたちが通用していました。ひらがなはいったい何文字あったのか、そもそもそんな無数のものとどのように向き合ったらよいのか考えてゆきます。図1 江戸時代のかな字典『和翰名苑』の字体をデータベース化したもの(http://kana.aa-ken.jp/wakan/)。これは「い」から「は」の部だが、どれがどのかなだろうか?図4 嵯峨版『伊勢物語』(1608年刊、国会図書館蔵)巻一13丁裏。2字下げされているところは、有名な「かきつばた」の歌で、教科書で習うことも多いだろう(なお、17世紀当時、濁点も義務ではなかった)。図2 江戸時代のかな研究書『仮字考』(北海道大学附属図書館蔵)より。「奈」から「な」まで崩れていったその下に、「かくのごとく転じ来れるなり」とある。図3 青谿書屋本『土左日記』冒頭部の「く」の用例を段階によって整理したもの。崩れ方の大きいものと小さいものに用例が集まり、中間的なものが少ないところに崩れ方の「こぶ」が見て取れる。 文字は、人間がことばを載せるためにつくった道具です。これはつまり、文字を研究するには、ひととことばとの係わりのなかに文字を見いださねばならないということです。文字は、輪郭を認識する能力や、手を自在に動かす能力などの、ひとがすでに持っていた能力を、ことばを書きあらわす目的に活かすかたちで生まれたものです。逆に見れば、輪郭として認識できないものや、無理をしないと書けないような線からは文字は成立しませんし、声に出してみることすらできないものも文字ではありません。これをいいかえれば、文字は「からだとことば」から制約を受けているということです。わたしの関心は、その制約のなかで、ひとがどのように文字を使ってきたかということにあります。 とりわけわたしが研究しているひらがなと呼ばれる文字の歴史は、「からだとことば」との関係という点から見てきわめて興味深い事例を提供するものであると考えています。いまあるひらがなは、9世紀に誕生して以来、千年あまりを経ていまあるすがたになったもので、生まれたときは、いまのようなすがたではかならずしもありませんでした。「からだとことば」にかかわる問題のひとつとして、その昔のすがたの「ひらがな」には何文字あるのかという問題があります。 ひらがなは漢字で日本語を書きあらわすなかで生まれた文字です。漢字がやってくるまえには日本語を書きあらわせる文字はありませんでした。中華文明圏、ひとによっては漢字文化圏とも呼ぶ、その域内に日本が組み込まれてゆくにつれ、中国のことばを書きあらわす漢字も日本にやってくるようになりました。そして、中国語を読む必要から、その文字に立ちむかうなかで、日本語は文字によって書きあらわす手段(表記)を獲得することとなりました。日本語学者の犬飼隆氏のことばを借りれば、それは、「漢字を飼い慣ら」し、日本語に合うように「鋳なおす」過程だったことでしょう(『漢字を飼い慣らす』人文書館、2008)。 その初期の段階の表記は、万葉集でよく知られることから、万葉仮名と呼ばれています。これは漢字の音訓を転用して、音が同じ日本語の表記に用いるものです(もともとの漢字の用法の範囲を出ないので、仮かしゃ借ともいいます)。たとえばアと読む漢字であれば、日本語のアを読むのに宛ててしまおうということです。傾向はあってもその宛て方には決まりはなく、万葉集のなかでアキということばは、「阿伎」とも「安吉」とも書かれています。 かな44は、このような初期の段階からの「鋳なおし」の産物ということができます。かな44にはひら44がな44とカタカナ4444があります。カタカナは漢字の一部分を取ってできたものです。それに対して、ひ

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