20FIELDPLUS 2016 07 no.16多民族社会のマレーシアでは、街を歩くとラテン文字、漢字、インドの文字など、さまざまな文字が目に入る。マレー語はラテン文字で表記されるが、ときにアラビア文字の表記をみかけることがある。同じ言語が二種類の文字で表記されるのはなぜだろうか?フィールドノート 文字からみたマレーシアの民族、社会坪井祐司 つぼい ゆうじ / AA研研究機関研究員ラテン文字アラビア文字AاE(弱)表記せずE(強)يIUوOマレーシア独立50周年を祝う垂れ幕。3つの言語、4つの文字で書かれているが、ジャウィが中心に配置されている。クアラルンプル市内の看板。インド人(上)、華人(下)の店でもジャウィを含む複数の文字表記がある。マレー語の母音表記におけるラテン文字とアラビア文字の対応関係。現存する最古のジャウィとされるトレンガヌ碑文(1303年)の複製(トレンガヌ州立博物館)。マレーシア建国宣言(1963年、英語、マレー語)。マレー語版はジャウィである(マレーシア国立博物館)。クアラルンプルインドネシアマレーシアのジャウィへの関心が復活するという現象もみられる。これは、どのような意味を持つのだろうか。ジャウィの歴史 まずジャウィの歴史を振り返ろう。マレー語は、マラッカ海峡の両岸(マレー半島、スマトラ島東海岸)を本拠としたマレー人の言語である。それとともに、マラッカ海峡を往来する商人たちの共通語としてマレー人以外にも利用され、マレー・インドネシアの海域世界に広く普及した。 マレー語は独自の文字を持たず、外来の文字により表記されてきた。古くはインド系の文字が使われたが、イスラム教とともにアラビア文字が到来した。マレー・インドネシア地域のイスラム化とともに各地で現地語をアラビア文字で表記する書き言葉が生まれたが、そのうち最も広く流通したのがマレー語であり、多くの宮廷文学や宗教書がジャウィで書かれた。 その後、ヨーロッパ勢力が海域に進出し、19世紀になると植民地統治が本格化する。マラッカ海峡はイギリスとオランダにより分割され、マレー半島はイギリス、スマトラ島はオランダの支配を受けた。前者が現在のマレーシア、後者がインドネシジャウィとルミ:マレー語の二つの文字 マレーシアは、マレー人(先住民と合わせて人口の約67%)、華人(約25%)、インド人(約7%)などからなる多民族社会である。各民族は独自の文化を持ち、言語・文字・宗教なども複数存在する。本稿では文字に注目し、ジャウィと呼ばれるアラビア文字をもとにしたマレー語表記について紹介したい。 ジャウィとはジャワ島を語源としており、中東における東南アジア出身のムスリムを指す語であったが、彼らの言語であるマレー語も指すようになった。マレーシアにおいて、一般にジャウィといえばアラビア文字で表記されたマレー語を指し、ジャウィ文字といえばアラビア文字を指す(一部にマレー語表記用に独自に作られた文字も含む)。ジャウィに対比されるのは、「ルミ(=ローマ字)」と呼ばれるラテン文字表記のマレー語である。 現在、マレー語といえばほぼすべてがルミであるため、ジャウィはマレー人自身からも過去のものとみられてきた。しかし、ジャウィはしぶとく生き残っており、近年マレー人
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