19FIELDPLUS 2016 07 no.16するごく自然な遊びの誘いかけだったと考えられる。これを受けたアルトの方も、その後寝ころびフクとの取っ組み合いに移行することから、誘いかけに乗っていることがわかる。つまりアルトはフクの動作を遊びとして理解していたと考えられる。 それまでフクと遊んでいたラキは母親のララとともに小休止した。問題は、これらの様子をじっと見ている高順位メスのアリサの挙動である。[場面3]数秒後、アリサはフクに手を伸ばしフクの顔を叩く2。フクはすぐ座りなおしアリサに対してグリマスする3。ラキとアルトが取っ組み合いを開始し、すぐに終わる。同時にフクはアリサに毛づくろいする。アルトはアリサに接触して乳を吸う。 下線部3のグリマスとは、内的な恐怖心を示す顔面表情のことである。それまで平和で個体間の順位序列が顕わではなかった状況に、はっきりと「アリサ>フク」という順位差が明確な状況が生み出されたことになる。また下線部2において観察された「叩く」動作は、遊びの際にも用いられるが、一方で攻撃的動作の一つでもある。アリサがフクを叩くのは一回にとどまり、継続されることはなかった。 つまり劣位のフクは優位のアリサに叩かれたのち、座りなおすとグリマスを向けることで、アリサに対して自らの劣位を示し、さらに毛づくろいをすることで、相手との関係回復を図り、それ以上の喧嘩、暴力沙汰が生じるのを回避することにつながったと解釈できる。 これらの結果からさかのぼって考えると、フクはアリサに叩かれた時点で、その動作を自らへの「警告」(それ以上息子と取っ組み合いを続ければ、次の攻撃を行う)と理解したのだと考えられる。誤解の構造 当事者の一人であるアルトは、フクの動作を遊びとして理解し受け入れていたであろうことは、すでに述べた。ではなぜ母のアリサはフクに警告を与えたのだろうか。 アリサはフクを叩いたあと、写真1~8で見られるように遊びで通常連鎖するような「掴む」「噛む」といった他の動作を続けていない。このことはアリサがフクを叩いた時点で遊びを意図していた可能性が低いことを意味する。ニホンザルの母親は我が子に対して攻撃的行動が向けられた場合、子を援助し防衛しようとする(こうした行動をネポティズムという)。これらのことを考え合わせると、下線部1におけるフクの一連の動作ややりとりを、アリサは息子アルトに対する攻撃的な行動とみなし、それに対してアルトを物理的に援助しようとする意図を明確にすることが「警告」の意味だった可能性が高い。 つまり、フクとアルトの間では遊びとして認知された「掴む」動作や取っ組み合いを、アリサはフクからアルトへの攻撃として認知したのである。この事例は、ある同一の現象に対して異なる立場のサルが別々の解釈を与える、つまり「誤解」が生じうることを示す事例であるといえる。誤解できるということ 誤解するということは、サルたちの認知的能力の低さを示唆しているのではない。その反対である。誤解が可能であること自体が、サルの一つ一つの動作のもつ多義性を実証している。また動作を外部から見るだけではその意味の解釈は難しく、しばしば個体間で誤解が生じることを示している。これらはすべてサルの高度な認知的能力の特徴を示唆しており非常に興味深い。 上で述べたような事例の解釈が、唯一可能なものかどうかについては、今後実験的に確かめるなど検討の余地があるだろう。しかしここで紹介したような誤解は、私たちの子育ての現場でもしばしば経験することであるともいえる。私がフクの立場なら、アリサの仕打ちは理不尽だと感じるかもしれない。しかし、事例では誤解が生じた際の劣位者フクの瞬時の判断も適切であるといえ、仲直りとはどのようにすればよいのかを私に教えてくれているかのようだ。 サルたちの関係性を理解し、日々の生活を観察し続ける中で、私たちと似た(あるいは異なる)サルの認知の働きを見つけ、またサルから教えられる経験を積み重ねてゆく。そうすることで私たちフィールドワーカーは対象をわかった気持ちになるのである。 こうした事例を「遊び論」の授業ではたくさん扱っているのだが、学生たちにその感想を聞いてみたところ、私が楽しそうに講義するのが見ていてうれしかった、というコメントがあった。学生たちはよく観察している。私にとっては、講義も遊びなのだから。それは決して誤解ではない。写真2写真6:組み伏せる写真3写真7写真4:近づく写真8:掴む
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