FIELD PLUS No.16
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17FIELDPLUS 2016 07 no.16立インド国家は反植民地運動の持っていた社会改革運動の倫理的・道徳的側面を継承していることを主張する。したがって、禁酒政策を導入している数州を除いて、多くの地方州政府は、多額の酒税を享受すると同時に、禁酒することを市民に勧めるという、全く矛盾した立場にある。 2000年代、インド南部四州は、農民や都市労働者が飲むアラック(カンナダ語ではサーラーイ)と呼ばれるサトウキビから蒸留されるアルコール飲料を禁止し、都市の中間階級が飲むIMFL(Indian Made Foreign Liquor)のみ販売するという政策によってこの矛盾を解消しようとした。IMFL(インド製外国酒)とは、その名前自体が語義矛盾に聞こえるが、その製造過程を知るとなるほどと思える。サトウキビから作られるアラックをさらに蒸留(二次蒸留)し、そこに 様々な色やフレーバーを人工的に加えることによって、ラムやジン、ウィスキーもどきが作られる。つまりインド製のウィスキーやジンなどは、他の国で同様の名前で売っているものとは全く異なるのである。アラックとIMFLの違いは、それらを消費する人々の階級の違いでもある。政府はアラックを飲む人々へは禁酒を促し、一方でIMFLからの税収入を確保しようとしたのである。困難な「裏フィールドワーク」 2007年5月にベンガルール市において飲酒文化に関するフィールドワークをしようと思ったのは、カルナータカ州政府(ベンガルールはカルナータカの州都)がアラックの販売を禁止すると発表したからである。アラックとIMFLの消費のされ方を比較しようとしたのが最初の目的であった。私は当時、現在も続けている宗教リーダー(グル)の調査をしていた。グルたちの多くは、彼らの出身カーストに関わらず、飲酒に対して強い嫌悪感を持っており、禁酒政策の導入を州政府に迫っていた。アラックの販売禁止は政治力を持つグルたちへの妥協策でもあったのだ。私が飲酒に関する調査を行っていることは、当然ながら彼らの背後で秘密裏に行う必要があった。いわば裏フィールドワークである。 ベンガルールは「パブ文化の首都」と呼ばれることが多いが、その名の由縁であるパブやバーに行くことは実はそれほど簡単ではなかった。観光ガイドブックを頼りに、当時人気のあったパブやラウンジ・バーなどをリストアップした。しかし、それらを回ってくれるリクシャー(三輪バイクのタクシー)の運転手を探し出し、説得するのがまず一苦労であった。さらに近所の住民に場所を聞こうとすると、そんなところに行くな、あそこは不健全な場所だと説教されるのである。 ところが実際に行ってみると、拍子抜けするほど健全でむしろ家庭的なパブやバーが多かった。パブとバーの違いはあまりないが、ラウンジ・バーはソファーを置いてリラックスした雰囲気。ほとんどの場所でダンスができる小さなスペースがある。来ている人たちも、比較的裕福な、いわゆる中間層ばかりで、男女比もほぼ半々であった。十軒近く回った中で、居心地が悪いと感じたのは二軒だけだった。一つは男子学生で一杯になったパブで、彼らはピッチャー入りのビールを飲みながら、アメリカのロック・ミュージックを全員(!)でがなっていた。もう一軒は、ホテルの最上階のプール脇のバーで、ここではインドや欧米の若い男たちが東北インド出身と見られる若い女性たちをナンパする光景があちこちで見られた。売春に近い行為が行われているかもしれないと思ったのはここだけである。 パブやクラブでインタビューをするのは思っていた以上に難しかった。まず、女性から話しかけることは誤解を生みそうだったので、夫の協力を得ることにした。彼はタバコの火を借りるという名目で、話のきっかけをつくってくれたが、このために10年以上やめていた喫煙を再開せざるを得なかった。きっかけができれば、グループ内の他の人とも会話できるので、その後は比較的スムーズである。しかし、店内は音楽が大音量でかかっており、会話は困難。声を張り上げているうちに喉はガラガラ。さらに私自身は酒が強くないので、数軒回った後にはフラフラ。ここまでくると命がけである。しかし会話からは、カーストや言語を超えた友情関係を飲酒が仲立ちしていること、仕事のストレス発散のための飲酒、付き合いのためにはビールなど値段は高いが度数の低い酒を飲み、「キック」(強い刺激)を得るために度数の強い酒を家で一人飲むなど、中間層たちの飲酒観を垣間見ることができた。特に仕事の疲れや、不安定な就職事情からくる心配を語る人が多かった。IMFL工場の風景。低所得者層に販路を伸ばそうと、この工場ではIMFLを小さな紙パックやガラスの小瓶に詰めて売ることを検討していた。カルナータカ州ベンガルールインドアラックの世界 この短期のフィールドワークで直接見えなかったのは、労働者階級が消費するアラックの世界である。リクシャーの運転手を説得し、ようやく数軒見つけたアラックの販売店は、薄暗い裏通りにあり、看板もなく、ただむき出しのコンクリートのカウンターの後ろに山積みされたアラックのプラスチックの袋が見えるだけであった。 どのようにアラックが飲まれるのかを教えてくれたのは、大手IMFL製造会社の社員たちだった。彼らはアラック販売禁止後に「ローワー・セグメント」(低所得者層)にも販売を広げるため、調査を行っていた。調査を行った一人で、社長の娘婿でもあったヴィクラムは興奮気味にその様子を語ってくれた。「彼らのほとんどは建設労働者や下水道掃除をする男たちだよ。彼らは朝やってきて店にはごく僅かな時間しかいない。『60コディ(60mlくれ)』と言って、カウンターに置いてある塩を指でこう取ってペロリと舐めるとその後アラックを一気に飲み干すんだ。その場で大体2、3袋一気に飲み、5、6袋ポケットに詰めていく。それらは昼間働きながら飲むらしい。」アラックは、過酷な労働を乗り切るために必要なものなのだ。遊ぶこと、生きること 酒を飲むことは生きていくために必要ないと書いた。だからこそ、飲酒は遊びとなる。しかしフィールドから見えてくるのは飲まなければ生きられない人々である。ここでは逸脱が静寂と安定を生み、脳が麻痺することで肉体を酷使できる。どうやらカイヨワの遊びの二つの対立軸、ルドゥスとパイディアは飲酒という行為を通じて交差するようである。気晴らしに騒ぎまくることによって、インドの中間層は家族から離れた孤独な都市の中で長時間労働をこなし、労働者たちは酒から得られる眩暈と恍惚によって過酷な肉体労働のための強靭な力を得ている。酒を飲まないものから見れば飲酒は不道徳な遊びかもしれない。しかし飲むものにとっては、飲酒は生きるために必要な遊びとなる。

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