7FIELDPLUS 2016 01 no.15所で囀さえずるため、見たり捕まえたりすることができないとも言われる。カンカプットは、カッコウの一種だという説もあるが、その生態は、その存在を含めて謎である。 あるカンカプット譚たんでは、その囀りがうるさくて、子の耳が聞こえなくなったことに腹を立てた親魚が、カンカプットの足に噛みついて折ったため、カンカプットが遠くに逃げてしまい、一時期、お告げの鳥がいないため果物が実らず、動物たちが飢えに苛まれたことが語られる。別の話では、カンカプットの囀りを聞いて、イノシシたちが移動しはじめたのを見て、オジロウチワキジがその後について行くと、果実がたわわに実る場所にたどり着いたことが語られる。カンカプット譚はどれも、その鳥が果実の季節を知らせることに関わっている。 謎多き鳥・カンカプットとは、果実を見つけて囀る鳥としての「鳥の総体」のことなのかもしれない。最初に、鳥たちが木になった実を啄ばみにやって来る。その後、樹上性の動物たちが実を食べに来る。つづいて、地上に落下した実を食べるために、地上の動物たちが木々の下に集う。それらの動物をめがけて、人間が森に猟に入る。プナンはその因果についてよく知っているが、そのような森の生命現象の開始を、カンカプットに仮託して語るのである。 これに対して、滑空する実際の鳥たちもまた、カンカプットの囀りのように世界に何かをもたらすとされる。サイホウチョウの一種であるソッピティは、「ピティ(暑さ)をソック(開く)」と名づけられているように、ソッピティ、ソッピティと囀って、雨が上がって暑くなる晴れ間が訪れることを告げる。キュウカンチョウ(キヨン)もまた、キヨン、キヨンと囀って、果実があることを告げて回る。鳴き声は、人間だけに届くのではない。動物たちにもまた等しく届く。その意味で、鳥の声は、すべての生きものにとっての共通言語のようなものだとプナンは言う。動物を助ける鳥 ジュイト・バンガット。日本語に訳すならば、「リーフモンキー鳥」と名づけられた鳥がいる。ハイガシラアゴカンムリヒヨドリである。人がリーフモンキー鳥に出くわすと、近くにリーフモンキーがいる。リーフモンキーに対しても、同じことが言える。樹上のリーフモンキーが、リーフモンキー鳥が鳴いているのを聞いたとする。リーフモンキーにとって、リーフモンキー鳥は、人間が近くにいることを知らせるために囀っているとされる。リーフモンキーは、その囀りを聞いて、自分たちをしとめようとする人間がいることを察知して、木枝を伝って逃げ去る。そのようにして、リーフモンキー鳥は、リーフモンキーを助ける。 「テナガザル鳥」(ジュイト・クラヴット)もいる。カオジロヒヨドリである。プナンによれば、それは囀って、テナガザルに人間がいることを伝え、テナガザルの命を助ける。リーフモンキー鳥にせよ、テナガザル鳥にせよ、それらは上空を飛行し、囀って、捕食者である人間がいることを動物に伝えて、動物の命を救うのである。 イノシシの味方をする鳥もいる。ハシリカッコウ(ブッジー)は、地上に棲むカッコウの一種である。ハシリカッコウは、イノシシが木の下で果実を齧っていると、そのそばに来てうるさくがなり立てる。落ち着いて実を食べることができなくなったイノシシは、その場から走り去る。森のなかで反響する、イノシシが果実を齧る音を聞きつけて今まさにやって来るところの人間の捕食の危機を、イノシシは免れることになる。ハシリカッコウは、イノシシの命を救う。他方で、プナンのハンターは、イノシシを逃してしまうことになる。 興味深いことに、プナンによれば、人間を助ける鳥はいない。鳥は、つねに動物の味方をする。プナンは、異類の発信に言語メッセージを読み取る聞きなしを行うが、彼らにとって、リーフモンキー鳥の聞きなしとは、近くにリーフモンキーがいるが、それは手に入らないということである。 プナンが住むボルネオ島の森では、人間と鳥の関係は、必ずしも人間を中心にして組み立てられているわけではない。非人間、この場合、鳥や動物を中心とした見方が組み入れられているという意味で、非人間中心主義的な世界、あるいは環境中心主義世界が築かれているのだと言えるのではないだろうか。「目が赤い」という忌み名があるサイチョウ(ベレガン)。「平らなところにいる鳥」という忌み名があるコシアカキジ(ダタア)。ウォーレスクマタカ(プラクイ)。「何もないところに座る」という忌み名があるセイラン(クアイ)。毒矢を射られた小鳥。樹冠の鳥を吹矢で狙うハンター。
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