26FIELDPLUS 2016 01 no.15 どちらもまず読み物として面白い。『人はみなフィールドワーカーである』(以下、『みな』)は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所創立50周年記念論集として、そして『人はなぜフィールドに行くのか』(以下、『なぜ』)はその姉妹編として出版された。どちらも初めから読み始めるよりも、好きな作家を捜すように、自分の関心のある章から読み進めるとよい。そして最後に序章へと戻るとフィールドワークの輪郭が見えてくる。なぜなら両書は研究の成果報告書というよりは、各分野における第一線の研究者が自らのフィールドワークそのものについて語っているからである。そこから浮かび上がってくるのはその人の生き様そのものなのである。 だがそれでも時代的変遷が見て取れる。人類学にとってフィールドワークとは調査地に長期滞在して参与観察を行なうことであるが、1970年代から80年代にフィールドへ出た研究者はまさに「闇雲」だった。深澤は「ほぼ徒手空拳のまま」にマダガスカルへと向かったし(『みな』89頁)、同じく西井は「とにかくなんとかして泳いでこい」という助言で送り出される(『みな』13頁)。1986年に北タイへカレン族の調査へ出た私自身も同じようなものだった。否、もっと楽天的な時代の魔法にかかっていた。フィールドへ出さえすれば、待っているのはバラ色の成果であると。のちに我が身で思い知ることになるが、ともかくフィールドへ行くことが夢であり、それがフィールドワークだったのである。 それを知る身で、床呂の序章(『なぜ』10-31頁)を読むと感慨深いものがある。フィールドワークは他の関連分野へと広がっていくが、それとともに疑問や厳しい批判が生じる。今やフィールドワークをするのに何らかの「言い訳」が必要になったようだ。だがそれを案じることはない。「答え」は各序章の中にある。フィールドワーク、それは生き様研究者の本棚吉松久美子よしまつ くみこ / 作家、文化人類学者「本書のさらなる特徴は(中略)、フィールドワークをめぐる記述が研究者の生き方そのものを示す方法論ともなっている」(『人はみなフィールドワーカーである』15頁) フィールドワークは言語学や歴史学の分野でも行なわれる。近藤は「歴史研究者にとって、読むべき資料がないというのが最も恐ろしい事態である」との言葉通り、ワクフ(宗教寄進財)に関する文書を求めてイランで調査を行なう(『みな』180-196頁)。また苅谷は酷暑のセネガル図書館でアラビア語写本を「朝から晩までひたすら書き写し続ける」(『みな』204-219頁)。人類学の三尾の調査も真摯である(『みな』244-261頁)。彼女のフィールドは日本が植民地統治を行なった台湾である。そこで彼女は体験の語りと向き合う。人が生きていくということは自らの経験を記憶の中で改ざんしていくことでもある。被調査者だけでなく、調査者もまた同じである。それゆえに経験の伝承は「表象不可能性をふくみこんで」おり、「言葉による表象によってこぼれ落ちてしまうもの」があるとしつつ、それでも「共感の可能性」を探るのである。ウガンダの牧畜民ドドスは「家畜の数を数えない」という。その牛を数えたのが河合である(『みな』156-176頁)。1981年からの所有頭数の変化を追うために牛を個体識別し、クロスチェックを行なう。そして齟そご齬がなくなるまで精緻化するのである。誰もがフィールドワークについて書きながら、まさに研究者の生き様が見えてくるのはそれゆえである。 古今東西普遍的なテーマもある。我が身はさて置き、もし娘が同じようなフィールドワークに出るといったら、親となった私は反対する。その辺は今の若い研究者も同じらしい。錦田は親とのそんな葛藤も記している(『みな』67頁)。フィールドワークはフィールドへ出る前から始まっている。 このように両書はいかようにも読みようがある。だから若い読者にとくに勧めたい。フィールドワークの「楽しさ」が掛け値なしに伝わってくる。最後に74年から類人猿ボノボの調査を行なっている黒田の末文を引用したい。「もはやそれを繰り返す元気は残っていないが、僕の夢にはワンバの森の風が吹いている」(『なぜ』147頁)。私の中でも今もカレンの風が吹いている。時代の変遷それぞれのフィールドワーク床呂郁哉 編『人はなぜフィールドに行くのか――フィールドワークへの誘い』(東京外国語大学出版会、2015年)西井凉子 編『人はみなフィールドワーカーである――人文学のフィールドワークのすすめ』(東京外国語大学出版会、2014年)
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