25FIELDPLUS 2016 01 no.15第1投目で釣れたシクリッド。夕食のおかずのシクリッド。研究に用いた魚は無駄にしない。日本の研究チームの拠点である研究宿舎、通称「堀ハウス」。元京都大学の堀道雄先生のご尽力により建てられた宿舎。深い湖底から上がった色鮮やかなシクリッド。これまで予想していなかった色彩が見られた。タンガニイカ湖のシクリッド 私はアフリカの湖や河川に生息するシクリッドの数多くの種を研究対象としているが、ここではタンガニイカ湖産シクリッドの研究を紹介する。タンガニイカ湖は世界で2番目に古い、水深の深い湖である。この湖には250種ほどのシクリッドが生息しており、体長数cmの世界最小の種から80cmを超える世界最大種が生息する。形態ばかりでなくそれぞれの種の生態も多様で面白く、このような形態や生態が1つの湖の中で進化してきたため、進化の研究対象として多くの進化生物学者を魅了してきた。私はタンガニイカ湖のシクリッドでは、とくに生息水深の光環境とそこに生息する種の視覚の適応に着目してきた。タンガニイカ湖でシクリッドは波打ち際のような水深数十cmほどの浅瀬から水深200mほどの深海のような深さにまで生息している。タンガニイカ湖は淡水の湖であり、淡水域で深さ100mを超える環境に生息する魚は極めて稀である。水中では水面から届く光が深さによって大きく異なるため、それぞれの深さに存在する光を眼がどのように受容しているのか、またそのような受容機構が進化の過程でどのようにして獲得されてきたかを明らかにすることは適応進化研究においてとても重要である。そこで私はタンガニイカ湖で深さごとの水中の光の測定とシクリッドのサンプルの収集を行った。湖上での野外調査 タンガニイカ湖は青と緑の中間のような深い色の水をたたえた非常に透明度の高い美しい湖である。私の調査地は日本の研究チームが拠点をおいているタンガニイカ湖南部のムプルングである。アフリカの大地溝帯の割れ目に水が溜まったような細長い湖で、両岸の山の斜面がそのまま湖の中まで続いている。そのため、ボートで少し沖合に出ると水深がかなり深くなる。水中の光は太陽が真上近くに位置しているときが測定に適しているので、時間は午前10時から午後2時の間になる。しかし、この時間帯にボートで湖上に出るのは忍耐力が必要となる。なぜならタンガニイカ湖は熱帯域にあり、標高が高めのため日差しが非常に強く、湖面の照り返しがさらに日差しを強くするからである。測定は光ファイバーケーブルを用いて水中の光を湖面のボートの上で記録する方法で行った。日差しの熱でノートパソコンが操作不能になったり、測定が安定しないなどのトラブルに3日間ほど費やしたが、よい測定を行うことができた。しかし、強烈な日差しのせいで、日焼け止めを塗っていなかった唇がパンパンに腫れ、毎晩涙がボロボロ出たりしたので、その対策をすることが次回の課題となった。 水中の光の測定の次はサンプル採集である。深い水深からのサンプル採集は、これまで深場刺し網により行われてきた。そこで最初に同じ方法を試みた。魚が新鮮なうちに採集したいため沖合で水深80mに刺し網を沈めた後、2時間ほど待った(通常一晩待ち)。この待ち時間に近くの島の漁村に上陸し子供達との交流を楽しんだ。現地の子供はデジカメが大好きで、写真を撮ってあげると液晶モニタに写った自分たちの姿を見て大喜びし、こちらも嬉しくなるほどであった。楽しい時はすぐに過ぎ、刺し網の引き上げの時間となった。網を沈めるのと比べ、引き上げは重労働であり、80mの深さがその時間をとても長くした。しかし、苦労の甲斐なく上がってきたのはたった2匹のシクリッドであった。 次の日、また80mの水深に刺し網を沈めた。その待ち時間に試しに持参した釣竿で釣りをしてみた。第1投目、湖底まで沈めた直後に重くなり80mの長さの糸を引き上げてみると大きなシクリッドが、しかも元気に生きたまま上がってきた。刺し網による採集では難しい活きのよい個体である。これに気を良くして次を沈めるとまたしても入れ食いで次々とかかってきた。釣りは非常に効率的な採集方法であっただけでなく、深い湖底に生息している魚の姿を生きたまま見ることができる方法であった。そのため、釣った魚の体色がこれまで予想していた色と異なることに何度も驚かされ、またその情報を研究に役立てることができた。その日から採集は釣りだけにし、様々な水深から多くの貴重なサンプルを最高の状態で得ることができた。 採集したシクリッドは夕方に研究宿舎の建物に戻ってから眼のRNA用サンプルと、DNA抽出用のヒレの小片を採取した。残った魚の体は種の同定用にホルマリン標本を作製し、標本にしなかった個体も無駄にしないように夕飯のおかずとした。ムプルングでの主な燃料は炭であるが、シクリッドの炭火焼は美味であった。また食事時の飲料水は湖水であり、行水の水も湖水である。研究から食事まで、タンガニイカ湖の恩恵に与かる研究生活であった。フィールドワークから見えてきた視覚の適応進化 先にも述べたが適応進化の研究では、種の生息環境が重要である。タンガニイカ湖は透明度が高い湖なので、これまでは深さに伴う光の変化は海と同じであると考えられ、そしてその考えを元に適応進化について議論がなされていた。しかし、実際に湖で測定したデータから、実は海とは異なる光が深い湖底に届いていることが明らかになってきた。そして、この事実から視覚の適応進化について私の研究を含めて再解析が必要となった。また、新鮮なサンプルのおかげで、深い水深に生息する種にどのような色が見えているかも明らかになってきた。今回はシクリッドの視覚の適応進化について紹介をしたが、今後フィールドワークと実験室での実験を組み合わせることにより、多くの生物で多様性が獲得された機構を明らかにできると期待している。
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