FIELD PLUS No.15
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21FIELDPLUS 2016 01 no.15援助機関、NGOなどさまざまな組織が、そこで「コミュニティ主体」を掲げるプロジェクトを実施してきたからだ。国立公園の観光収入の一部が地域に還元されたり、住民の土地に保護区をつくって観光ロッジが建ったりした。この結果、新しい現金収入や雇用機会が生まれ、これまでに多くの世帯が経済的な利益を得てきた。そして、国立公園として土地を奪われた過去は過去として、今では多くの住民(マサイ)が外部者の提案するプロジェクトを積極的に受け入れるようになっている。 ただ、住民が野生動物の保全やそれとの共存に賛同しているのかというと、そうともいえない。住民の大半は、保全は政府が責任をもって行なうべきであり、野生動物を保護区の中に閉じ込めて外に出てこられないようにするべきだという。これまでと同じように野生動物と共存しながら保全をして欲しい。そう思って外部者はマサイを支援しているはずなのに、その思いはマサイによって共有されていないのだ。マサイが共存を拒む理由 住民は自分たちマサイは歴史的に野生動物と共存してきたという。それなのになぜ、彼ら彼女らは外部者に援助を求めるばかりで、その外部者が求める共存を受け入れないのだろうか? その背後には、外部者がマサイの声にきちんと耳を傾けていないという問題が隠れていた。 「外部者が求める共存」とは、野生動物を殺さず友達のように仲良く一緒に暮らすことを意味している。しかし、住民にとっての最大の問題は、野生動物との共存は命の危険をともなうということだ。昔も今も、マサイが野生動物に殺されることは毎年数件とはいえ現実に起きている。昔であれば、マサイは危険な大型動物や肉食動物に出会わないように注意しつつ、それらが身近に出没したら狩猟することで安全を確保してきた。それが今では狩猟が法律で禁止されているため、マサイは野生動物を殺すことも追い払うこともできないでいる。そこで「コミュニティ主体」を掲げる外部者に対策を求めるのだけれども、無視されるか予算不足を理由に拒否されるかで効果的な対策は講じられてこなかった。 住民は自分たちの土地に保護区をつくり、その中で野生動物を保全することには賛成している。しかし、人間を襲う危険性のある野生動物がその外に出てくることには強く反対している。被害への補償がないだけでなく、命を失う危険性が明らかにあるような中では野生動物と共存などできないというのだ。マサイ・オリンピックの裏表 このように住民と外部者の間には野生動物との共存をめぐって大きな認識のずれがある。しかし、だからといって住民が外部者の持ち込むプロジェクトを頭ごなしに否定することはない。不満や不信があってももらえるものはもらっておこうといった様子がそこにはうかがえる。それはアンボセリ地域における最近の取り組みで、世界的な注目を集めているマサイ・オリンピックへの態度にも見て取れる。 マサイ・オリンピックはアンボセリ地域で高級エコロッジを経営する白人が中心となって2012年から開催しているスポーツ大会で、マサイに狩猟を止めさせることを目的としている。伝統的にマサイの青年は狩猟をつうじて男らしさを示してきた。それに対して主催者は、もはや狩猟には何の価値もないので止めるべきだし、野生動物を保全することで経済的な利益を得ることの方がマサイの未来のために大切だという。そして狩猟にかわる新しい伝統としてマサイ・オリンピックを催し、槍投げや高跳びといった種目の上位3人に賞金と名誉を称えるメダルを授与している。 この催しの中で主催者は野生動物に住民が殺されている事実に言及しない。けれども、住民がそれに怒りを示すことはない。むしろ大会当日は競技に熱中・熱狂するだけでなく、主催者の呼びかけには肯定的に応答し、メディアの取材に対しては主催者の意図を絶賛していた。マサイ・オリンピックはマサイが狩猟を放棄し、主体的に野生動物の保全に取り組むようになったことの証しだとして世界各国でニュースになった。しかし、住民がマサイ・オリンピックの理念に完全に賛同しているわけではない。参加者はスポーツを楽しみ賞金を喜んでいたけれども、メダルには格別の価値を認めていないし何か新しく保全活動を始めているわけでもない。ローカルからグローバルへと広がるマサイの試み これまでにアンボセリ地域では、「コミュニティ主体の保全」をめざすプロジェクトがいくつも実施されてきた。その「成果」は政府やNGOのウェブサイトをはじめ、各種のメディアをつうじて紹介されてきた。たしかに、そこでいわれているようにマサイは経済的な利益を得るようになったし、プロジェクトを受け入れるようにもなった。しかし、マサイが訴える野生動物との共存にともなう命の危険性については状況が改善されたとはいいがたい。 そうした時、最近ではローカルな現場で外部者に問題を訴えるのではなく、インターネット上にウェブサイトを立ち上げたりSNSに専用のアカウントを設けたりして、グローバルに情報を発信して支援の獲得をめざす者が現れている。それが果たして成功するのかどうかはまだ分からない。 失敗することを気にせず新しいことを積極的に試みるマサイについては、グローバルな環境主義を飼い慣らそうとする興味深いアフリカ人として調査・研究していくつもりだ。そしてまた、野生動物との共存という今日的な課題を共有する同時代の人間として自分にできる協力のあり方を模索してもいきたいと思う。2012年7月に青年がバッファローに殺された後、政府とのあいだで開かれた緊急集会に集まった青年たちはみな槍を持参していた。マサイ・オリンピックにおける高跳びは、頭上に張られた紐に頭が触れればその高さをパスするというものだった。野生動物の危険性の例として住民がよくあげていたのは、こうした子供たちが通学中に襲われる可能性であった。

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