えるが、その特殊な結び方を身につけていなかった私は、いつもトウチャンにハナギを拵こしらえてもらっていた。失態、そして叱責 あるとき、天神の出番が回ってきて、いつものようにトウチャンにハナギを拵えてもらい、牛の繋留場から天神を曳き出した。天神はいまから闘牛ということで、かなり気合いが入っている。頭を下にしてなかなか前に進んでくれない。こちらも全力で曳き上げるのだが、到底牛の力に敵うはずもない。音を上げながらやっとの思いで闘牛場に入場した。さあ、いざハナギ抜き…。 ほどけない。ほどけないのである。天神を曳いてくる道のりで、その綱はしっかりと締まってしまった。いくら引いてもハナギがほどけない。対戦相手はすでにハナギを解いて、抜かんばかりの臨戦態勢。柵際に座っている元勢子の年寄りたちは、私の粗相にヤジとからかい、そして教育的罵声を情け容赦なく浴びせかけてくる。それにつられて数百人の観客も笑い出す。こうなるともうパニック。目の前が真っ白になってしまった私が、あまりにももたつくものだから、テッチャンは見るに見かねてハナギを取り上げ、解いてくれた。みんなに憫びん笑しょうされながらも、どうにかハナギを抜くことができた。しかし対戦を終え、普段ならば意気揚々と牛を曳いて退場するときに、周りの勢子たちから「牛は一流だども、馬子(牛を曳いている人)は二流だ!」ととどめの嗤し笑しょう。そして、闘牛会の会長からは「自分の牛のハナギくらい、自分で拵えねぇから抜けねぇんだ!」と直々の叱責を受けることとなる。「伝統」の確認 闘牛は、牛がただ強ければ良いというものではない。その風格や闘いぶりが評価される。ましてや勝負をつけないこの地の闘牛では、そのような勝負以外の要因が、まさに牛の優劣を決める評判に大きな影響を与えてしまう。そしてその要因のなかには、牛を所有する人間の度量や技量、そして振る舞いというものが重要な要素として含まれている。もちろん私は、それを十分に理解はしているのだが、十分に対応できないのである。何度も失敗を繰り返してきた私は、自分が笑われるだけならばまだしも、さすがに天神の評判を下げるわけにはいかない。もう体力的に限界も感じているし、そろそろ潮時か。天神を曳くことを辞めたいとテッチャンに懇願した。しかし彼には、「牛持ちが自分の牛を曳くのが『伝統』。先生は『伝統』の研究をしてんじゃないですか!」と一喝されてしまった。 このような失態のたびに、テッチャンは「伝統」という言葉を使って私を諭し、それを私に叩き込もうとしてきた。いまでは、私もハナギを自分で拵えることができるようになったが、それでも覚束無い部分が多々ある。きっと、これからも「伝統」を厳しく仕込まれ続けるのであろう。 ただ、あるとき、「伝統」を仕込まれているのは私だけではないことに気づかされた。彼らは自分たちにも、自ら仕込んでいるのである。最近、牛の曳き回しやハナギの抜き方など、「伝統」が崩れて来ているということが問題になった。そして個々人のやり方をもう一度見直そうじゃないかということになり、勢子が集まってしきたりの再確認と再統一が行われたのである。慣れが続くと惰性となる。「伝統」的やり方を守ることに疎かになる人も出る。そこでのやり取りは、直接のきつい咎めだてではなく、手を抜いた当事者にその非がそれとなく伝わるように、間接的に苦言を呈したものであった。「伝統」を育てる 彼らは、地域文化に不遜にも深入りしてしまったよそ者である私を、その「伝統」に適った人間に育て上げようとしている。しかし、そこでは私がよそ者であるかどうかが問題なのではない。自分たちが「真正」と考える「伝統」を、その担い手としてきちんと遵守し、保持できているかを問うているのである。そして、その問いは新参者の私だけに向けられているのではなく、昔から闘牛をやって来た自らにも向けられている。彼らの「伝統」意識がいつ形成されたのか定かではないが、いま、この地の闘牛はただ漫然と継承されているのではなく、その「伝統」としての要目が意識的に再確認され、再修正されているのである。そのなかで「伝統の担い手」として、自らも含め互いに育て、育てられている。闘牛という「伝統」も継承されているというより、いま「伝統」として育てられていると表現するのが、より相応しいのだろう。19FIELDPLUS 2016 01 no.15「伝統」を確認し合う「伝統の担い手」たち(渡邉敬逸2014年4月29日撮影ビデオより)。天神は2012年に年間最優秀牛の栄冠に輝いた(平澤健光2012年11月6日撮影)。牛を取り囲む勢子たち(Michael Dylan Foster 2013年10月6日撮影)。
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