8FIELDPLUS 2016 01 no.15仮面は「ものらしくないもの」である。バリ島のある寺院のご神体である天女の仮面とそれを祀る人々の関わりに注目すると、人と仮面(そしてその先にいる神格)の間の関係性の多面性や可変性が見えてくる。仮面から考える人とものの関係 仮面は「ものらしくないもの」である。バリ島のある仮面舞踊家は、仮面は野生動物のようなものであり、それを(使い込むことで)飼い慣らす必要があると語る。また、別の演者は、他界した父親が生前使用していた仮面を「躍らせてみたい」と考え、仮面劇を学び始めた。さらには、ある仮面は霊的な力を持ち、人々に安寧や災いをもたらし得るとされ、寺に祀られ繰り返し供物を捧げられている。このように、バリ社会の文脈に限ってみても、仮面は単なるもの以上の存在である。ものによって人の行為や感情が引き出される状況を、ものの働きと呼ぶならば、仮面は様々なやりかたで人間に働きかける。しかし一方で、仮面はものでもある。バリ島の木製の仮面は、人によって作られ、どこかに置かれ、持ち運ばれ、再加工されたり、また複製されたりもする。 実は、各仮面の種類や、個々の来歴、置かれた社会的な文脈によって、仮面とそれを被ったり所有したりする者との関係性はかなり異なる。今回は、バリ島に現存する仮面のなかでも特別に古いとされる、ケテウェル村のパヨガン・アグン寺院のご神体、天女の仮面一式、そしてそれらの仮面を用いて踊られる「天女の舞」(バリではtopeng legong, sang hyang legong topengなどの名で知られる)を事例とし、人と仮面の関わりが、「人が仮面を作り、それを被る」という一方的なものではないことや時をへて変わりゆくものであるということを見てゆく。天女様がお踊りになる バリ島は、インドネシア共和国に位置する愛媛県ほどの大きさの島である。イスラム教徒が約9割をしめるこの国にあって、バリ島は人口の8割以上がヒンドゥ教徒であるという特徴がある。観光地としても名高いこの島は、様々な芸能が伝承され創造されていることでも知られている。それらの芸能は、ヒンドゥ教徒たちの催す各種の儀礼、すなわち寺院祭、結婚式、葬式、削歯式などで上演されるほか、観光客向けの芸能ショーや、芸術祭、選挙活動の人寄せなど、世俗的な目的で上演されたりもする。 天女の舞は、このバリ島の南部に位置するケテウェル村とその隣のレンベン村のみに伝わる珍しい演目である。この舞は、もともと寺院の祭や、悪霊払いの行事で上演されていた。ケテウェル村の場合、パヨガン・アグンのご神体である天女の仮面をつけて、地元の、初潮前の幼い少女たちが踊る。仮面は、全部で9枚あり、一つ一つが固有の名前をもち、高度に神聖視されている。仮面が舞に登場することで、寺院祭が成就したり、村が悪霊から守られたりするとされる。 天女の舞が上演されることを、ケテウェル村の人々は「天女様がお踊りになる(tu dari masolah)」あるいは「天女様がお出になる(tu dari medal)」と表現する。ここでは、「仮面」を被った少女たちが踊るというよりも、天女様が少女たちという、「仮の胴」を獲得して、舞っていると言ったほうがふさわしい。 この仮面には、いくつもの禁忌がある。たとえば、仮面は滅多なところに置いてはならない。バリでは上は浄、下が不浄なる方向である。そのため、仮面は必ず高いところにかざして持ち運びされる。また人々は直接仮面を触ることもできない。踊り手バリ島天女の舞にみる人と仮面の関係吉田ゆか子よしだ ゆかこ / 日本学術振興会特別研究員(国立民族学博物館)、AA研共同研究員ケテウェル村の天女の舞が芸術祭で上演されているところ。2007年7月10日撮影。仮面はご神体の複製である。天女様の仮面の入った箱(右)を持ち運ぶときには頭に載せ、傘を掲げる。2007年7月10日撮影。天女様の仮面を装着する。2011年7月11日撮影。
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