FIELD PLUS No.14
27/34

25FIELDPLUS 2015 07 no.14それに続く時代に記されたことがわかったのである。さらに、古代チベット帝国期に石碑や岩壁に刻まれた文字が、チベット自治区だけでなく四川省や甘粛省、さらにパキスタンでも見つかった。これらはいわば仏教的再解釈が施される前の生の史料であり、突然出現したこの史料群を研究することによって、古代チベット史はようやく歴史学の仲間入りを果たしたのである。我々はこれら出土・石刻史料を、後代の古典チベット語史料と区別するために、古チベット語史料と呼んでいる。 古チベット語史料から古代チベット帝国という国家を復元する、それが私の取り組んでいることである。史料からかすかに見えるその姿は、伝統的歴史が伝える仏教国からはかけ離れた軍事国家であり、また広大な地域と様々な民族集団を高度な行政システムを利用して統治した一大帝国なのである。ただし、一つ一つの断片的な文書の記録は行政システムの一部や末端を伝えるに過ぎず、こういった小さな記録を大量に積み重ねなければ、全体の構造がみえてこない。そういうわけで、日々文書の断片や碑文の画像を眺めている。◆出土文書を読む 生の文書を見るということは、ただそこに書かれているテキストを読むということだけでなく、このテキストの書き手が誰か、どこで記されたのかということを見極めるということでもある。チベット語だからといってチベット人が書いたとは限らないし、そもそも偽物の可能性もあるのだ。ではどうやって判断するかというと、テキストの内容だけでなく、訂正箇所、書き間違い、文字の癖、裏の落書き、罫線の有無や、紙の形、厚さ、色などあらゆることに注目するのである。慣れてくると、この紙は何処産のものかとか、この筆跡は何年頃のものだなとか、書き手は中国人だなとか、様々なことが何となくわかってくるのである。 文書を見るのは地味な仕事だが、生の史料にはいわく言いがたい迫力があり、写真で見飽きるほどみた文書でもいざ本物を前にすると必ず何かしら新しい発見がある。発見は小さいものから大きなものまで様々であり、文書の小さな切れ端であろうと油断ができない。 新疆や敦煌で発見された古チベット語文書の大半は、現在ヨーロッパの図書館に所蔵されている。その1つの大英図書館に私が2年間ほど滞在していたときのこと、敦煌から出土したチベット語文書のカタログを作るために、図書館職員のヴァン・シャイク氏と地下の収蔵庫で毎日文書をみていた頃があった。ある日、文書の断片上に短い物語を発見した。どうやらチベットに来た仏教僧の歴史を研究する際に最も重要となるのは年代の確定である。しかし年代はいつも数字で表されているとは限らない。碑文の詩句に隠された年代を誰もが簡単に計算できるよう、パソコン上で動くプログラムを作ってみた。敦煌文書の中で見つけたチベット最古の歴史書『バシェー』の断片。ⒸThe British Library。大英図書館で文書を調査する。右がヴァン・シャイク氏(大英図書館)、左が筆者。Imre Galambos撮影。眼を皿にして敦煌文書を読む筆者。Vic Swift撮影。古代チベット帝国の命令文書。敦煌文書の1つ。ⒸThe British Library。話だが、なんとなく見覚えがあるようだ。早速上階にあがってチベット仏教史を数冊確認してみると、なんと『バシェー』という書だけにほぼ同じ内容の文章が見つかった。 『バシェー』はチベット史書のなかでも特別な存在である。ほとんどのチベットの史書は後伝期以降に書かれたが、唯一『バシェー』のみが例外で、前伝期に成立した、少なくともチベット人たちの間ではそのように信じられてきたのである。しかし『バシェー』が本当に古い書であるという証拠がなく、それが研究者たちを悩ませてきたのである。 さて、我々が物語を発見した断片は、敦煌莫高窟で発見されたいわゆる敦煌文書である。敦煌文書の書かれた年代の下限は11世紀初めだから、この断片はそれより前に写されたにちがいない。しかもテキストの文字は古形をよくとどめており、ひょっとすると9世紀に遡るかもしれない。これはチベットの前伝期に属する。つまりこの切れ端は、今まで見つかっていなかった証拠になり得るものだったのだ。もちろんこの断片だけで『バシェー』全体が前伝期に成立したことまでは証明できない。しかし、少なくとも『バシェー』の一部が実際に前伝期まで遡り得ることが確認できたのである。 これはうまくいったときの話だが、大発見はそ

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る