FIELD PLUS No.14
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23FIELDPLUS 2015 07 no.14日本語族とキリスト教と親日感情と 台湾には「日本語族」と呼ばれる人々がいる。これは実際にそういう民族がいるというわけではなく、日本統治期に日本語によって教育を受け、第二次世界大戦後70年を迎える今でもなお母語、ないしはそれに準ずる言葉として日本語を使用している人々である。この人たちの中には終戦時に日本語しかしゃべることができなかった人も少なくない。こうした世代でキリスト教徒であれば、日本語キリスト教の場を求めるのは自然なことであろう。北京語や台湾語の教会に通ったものの、あまり得意な言語ではないために教義が理解できなかったが、日本語で話を聞いて初めて理解できたという人も多い。 親日的であると知られる台湾にあって、日本語で礼拝する日本語族キリスト教徒たちの大多数は当然親日的である。私のような日本から訪問した者との日本語でのおしゃべりを心待ちにし、昔話に花を咲かせる。今でもこれだけ日本語がうまい人は日本統治期に台湾人エリートであったことが多く、まだ台湾が日本であった自らの若かりし頃の楽しく懐かしい甘酸っぱいような思い出をとめどなくあふれ出るように語ってくれる。 ただ、こうした楽しいおしゃべりも時に、ややきな臭い方向に転換することがある。それは外省人と呼ばれる戦後中国から台湾に来た人々を批判する内容や、中国共産党へのマイナスの感情の吐露である。「台湾から中国人を追い払って、日本の植民地に戻してほしい」という声を聞いた事も一度や二度ではない。 こうした発言は日本出身の私にとって正直、困惑させられる出来事である。どのように理解すればいいのだろうか。おそらく先入観を捨てて、幅広い立場の意見を伺い、台湾の現代史を視野に入れて考えることが必要である。背景としての戦後台湾史 戦後の台湾では日本語を学校や職場といった公的な空間で使用することが禁止された。彼ら・彼女らは母語が禁止されるという苦い経験と記憶を共有している。さらに、1947年の228事件をきっかけに長期間の戒厳令と独裁政権の時代を経験する。この事件は元々台湾に暮らしていた本省人と外省人との間の抗争で、数万人の本省人が犠牲になった。このために彼ら・彼女らには国民党や外省人、ひいては共産党や中華人民共和国への強い不信感が共有され、その親日感情は外省人に対する不信感の裏返しの情動という側面もある。とある日本語族のキリスト教徒の男性は1980-90年代の台湾の民主化運動のデモに参加した際に軍艦マーチを歌いながら行進したという思い出を語ってくれた。戦後の台湾社会では親日が反中国、反外省人のシンボルとなっていたということである。こうした世代のキリスト教徒が日本語で礼拝するということは単に日本が好きというだけではない、人生を反映させた生の実践なのである。第二次世界大戦後の苦しい記憶と、その反動で美化された若かりし頃の思い出とが、キリスト教の信仰に絡み合い、渾然一体となっている。この3つの思いが分かちがたく結びついているのであって、単に親日的という理解だけでは、表層的で核心に迫らない。日本人妻とキリスト教 大日本帝国の版図拡大によって多くの日本人が東アジアの各地へ移住したが、その中には当然女性も含まれていた。第二次世界大戦の終結による国境線の変更は、再度人々に移動を促し、帰国する者、留まる者を生み出した。中には希望する土地への定住が叶わなかった人たちも多く、特に女性の割合が高い。こうした女性たちは東アジアの各地、韓国にも中国にも、そして台湾にもおり、現在齢80を超えている彼女らは台湾で日本人妻と呼ばれている。 台湾に暮らす日本人妻たちの現地語の能力は人それぞれであり、日本語以外の言語ができないというケースもある。彼女たちの夫や家族は日本語がうまいことが多く、若い頃にはコミュニケーションはとれていたのだが、同世代以上の家族や夫が亡くなった後に、日本語のできない下の世代とコミュニケーションがとれず、家庭内で孤立することも多かった。このことを知った日本のキリスト教系NGOのワーカーが台北市内で彼女らを中心に、日本語族台湾人も巻き込んで「聖書と祈りの会」というキリスト教の祈祷会を開始する。この活動を継続するうちに高齢となった日本人妻たちへのケアの必要が生じ、先に紹介した玉蘭荘へと発展していった。 玉蘭荘と国際日語教会の両方に参加する日本人妻は、楽しくおしゃべりをしつつもこのように語る。  私は台湾に来てからずっと苦労してきました。早く日本に帰りたかったのに、できないままもうこんなお婆さんになってしまいました。まるで浦島太郎みたいでしょう? 私が死んだら、日本のお墓に入れてほしいと思っているけど、それは難しいでしょうねえ。  台湾で晩年を過ごしている日本出身の女性たちや日本語に愛着のある高齢者のケアが日本語で十分に行われているとはいい難い。台湾のキリスト教は少数派の宗教である。それは彼ら・彼女らの中でも同じであるが、台湾に彼ら・彼女らを日本語でケアをしている所はここで紹介した日本語のキリスト教空間以外に存在しない。 人類学者の私にはケアという意味では特に何もできない。しかし、老齢になった日本語族台湾人や日本人妻たちの生にもうしばらく寄り添いながら、彼ら・彼女らがこだわり続けた日本語で、記録を残す作業を続けていきたいと思っている。「楽しく歌おう!」というプログラム。様々に計画されている活動の中でも日本語でのカラオケは最も人気があるものの1つ。プログラムの合間の日本語での談笑も楽しみの1つ。

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