FIELD PLUS No.14
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22FIELDPLUS 2015 07 no.14台湾の日本語キリスト教という場 とある大通り沿いのビルの中に、毎週月曜日と金曜日に高齢者が集まる玉蘭荘というデイケアセンターがある。ここでは、一定の世代以上の日本人にはなじみ深い「青い山脈」の曲にあわせて振付けられた体操をしてから1日の活動が始まる。高齢社会となった日本ではよくみかける日常の風景の1コマかもしれない。しかし、ここは日本国内ではなく、台湾の台北市である。旧日本植民地である台湾で日本語によるデイケアのサービスが行われているのだ。しかも、この施設はキリスト教的精神に則って運営されており、そもそも設立には日本のキリスト教系NGOが関与している。ただし、キリスト教の布教を目的とした施設ではないため、参加者の全員がキリスト教徒というわけではないし、キリスト教徒ではない参加者にキリスト教への入信を迫ることもない。それでいて、毎回必ず日本語で讃美歌を歌い、祈り、礼拝する。キリスト教徒の参加者にとってはもちろん、それ以外の高齢者のスピリチュアルケアという側面も持っている。 もう1つの場面を紹介しておきたい。やはり台北市内になるが、日本語で礼拝する国際日語教会というキリスト教会が存在する。確かに日本語によるキリスト教の教会や礼拝があることは世界的に見ても珍しいことではなく、この教会もその一種ともいえる。ただし、そうした教会の対象は現地の在留邦人であるのに対して、ここでは現地の台湾人のための教会でもあるという点が特徴的である。日曜日の2回の礼拝のほか、聖書を読み祈る集会や、台北近郊での簡単な礼拝もおこなっており、それぞれ数人から数十人が集っている。 台湾にはこうした日本語によるキリスト教の場が複数存在している。日本統治期を知る世代で日本語のキリスト教に接することを求める人は少なくない。こうした場に集まる人たちは日本語族台湾人、日本人妻、若い人たち(駐在員、留学生(元留学生)、国際結婚をした人など)に大まかに分類できるが、ここでは日本語族台湾人と日本人妻について紹介する。支配した/支配されたという記憶は愛憎入り混じった複雑な感情を喚起する。そうした感情が宗教という場では信仰と絡まり合って複雑な情動へとなっていく。記憶と信仰の関係性に迫るキリスト教のフィールドワーク。フィールドノート 台湾の日本語キリスト教徒何故、旧宗主国の言葉で礼拝するのか?藤野陽平 ふじの ようへい / AA研研究機関研究員玉蘭荘の1日は「青い山脈」にあわせた体操から始まる。玉蘭荘ではデイケアのうち日本語の礼拝、祈り、讃美歌が重要な位置をしめている。ひな祭りのような行事にあわせて、台湾に「日本」的空間が現れる。国際日語教会の聖歌隊。日本語族台湾人を中心として、日本人のメンバーも。平均年齢は85を超えている。外国人を中心とした日本語のコーラスでは世界最高齢レベルではないだろうか。台北市台湾

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