FIELD PLUS No.14
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16FIELDPLUS 2015 07 no.14なぜ遺跡にものが遺るのか この文章を読まれる少なからぬかたが引越しの経験をお持ちだと思う。自分が引越ししたときのことをふりかえったり、引越しの場面を想像してみてほしい。ノスタルジックな感傷の思いなどはともかく、大切な「もの」を残していく人はほとんどいないであろう。マナー違反であるが、役に立たないものやゴミを放置していく輩はいなくもない。一方で、考古学者は遺跡に遺された「もの」から過去の人間の行動を復原しようとする。遺跡から出土するものは、過去の人々が残したものなのか、遺したものなのか、はたまた遺ってしまったものなのか、この問題について多くの考古学者が懐疑的にならないのは、遺物や遺構を考古学的な脈絡で解釈しているからである。しかしながら、そもそも遺跡に「なぜ」「もの」が存在するのかがはっきりしなければ、遺跡から発見される考古学資料から過去を推論する根底はゆるぎかねない。かつて遺跡の使用者にとって遺物や遺構はどのような意味を持ったものなのか、大切なものなのか、不要なものなのか、そんな疑問の手がかりを与えてくれるのが実は今を生きている人々であり、エスノアーケオロジー(民族考古学)の原点なのである。台湾原住民族の狩猟活動 台湾に住む先住民族の人たちは、中国語で「もともと住んでいる人々」という意味である原住民族とよばれている。筆者は原住民族の人々のイノシシ狩猟に関する一連の行動がどのような物質的記録を生み出すのかという課題を考えるために、エスノアーケオロジー調査を南部のパイワン族の罠猟と中部のツォウ族の犬を用いた追跡猟を対象にして行った。 台湾原住民族はオーストロネシア語族に属する言語を母語とし、慣習的な生業を焼畑農耕と狩猟活動や漁労活動にゆだねた生活を行ってきた。現在、台湾で大多数をしめる漢族系住人よりも先に台湾に移住し定着してきたと考えられており、その伝統的な居住地域は中央山脈とよばれる台湾中央部の山岳地帯から東部の狭隘な平野部であった。日本統治時代(1895-1945)や中華民国施政下ではマイノリティとして差別的な扱いをうけながらも、1980年代以降の台湾社会の民主化にともない、先住民族としての権利の獲得や文化の尊重を目的とする社会運動を展開し、憲法の中にも多文化主義の中での原住民族としての地位を確立するなど、社会的位置づけを自ら変えてきた人々である。 狩猟については中華民国施政下では実施がほぼ禁止されてきたが、文化としての狩猟の重要性を訴え続け、現在では、原住民族による狩猟活動は制限つきではあるが法的に認められている。狩猟活動をどうとらえるのか 生態人類学や文化人類学でも狩猟は研究テーマとして重要であり、多くのすぐれた民族誌が書かれてきた。環境適応戦略としての狩猟、密猟や観光狩猟、地域社会の中の狩猟に関わる研究や調査は多い。これらのフィールド調査とエスノアーケオロジーのフィールド調査との大きな違いは、後者はとにかく何が遺るのかに執着した観察を貫くことである。これには、遺って見えるものを拾い出すことだけでなく、狩猟に関わるあらゆる事象の属性を洗い出すことが求められる。狩猟に直接関わる行為にひもづけられたもの、例えば狩猟具や動物の解体に必要な道具、動物の骨や皮革について調べるだけではなく、自宅に獲物を持ち帰って解体を行うものの家には屋外に煮炊きができる施設があったり、動物の解体を複数の人間が行った後に、飲み食いができる場所が確保されていたりすることも、物質的記録から狩猟行動の存在を推測するうえでの大切な手がかりとして注意が払われる。 とはいえ、やはり、狩猟具や動物体の観察、記録、分析は調査の柱となる。筆者は狩猟活動やそれに関連した人々の行動に関するどのような手がかりが動物の骨に遺されているのかに着目した。動物骨は動物の個体の情報を示す物質であるが、のこす 2狩猟活動から遺されるもの野林厚志のばやし あつし / 国立民族学博物館台湾の原住民族の人々の現代の狩猟活動は文化的営為としてとらえられがちであるが、自然環境の中から野生動物を捕らえるということ自体は今も昔も変わらない。狩猟行動から遺されていく物質文化の属性を調べながら、狩猟行動そのものを記録し遺していく意義を考えてみた。パイワン族の若者たち。祭礼時には華やかな衣装に身をつつむ(2007年8月撮影)。パイワン族の家屋に架けられている捕獲した動物の頭骨や下顎骨。狩猟者にとってトロフィーのようなものである(2006年11月撮影)。台北北大武山阿里山台湾

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