ことながら彼らの生活はトナカイという家畜と密接に結びついている。すなわち、トナカイを橇そりによる移動に使い、その肉を主な食料にし、その毛皮を衣類だけでなく、テントの覆い、橇の紐、投げ縄として用いるなど、生活の隅々にまでトナカイという動物資源を余すところなく、徹底的に利用して生きている。チュクチ語が置かれている状況 民族固有の言語の存続は、その言語が親から次の世代へと確かに受け継がれるか否かにかかっている。ロシアのシベリア地域における先住民言語は、親元から子どもたちを隔離する寄宿学校制、ロシア語教育と同化政策の強化により、衰退の一途を辿っているが、チュクチ語の運命も例外ではない。1950年代後半からは、出稼ぎを目的にロシア人をはじめとしたいわゆる白色系人種がチュクチ自治管区に大量移住してきたことに伴い、保育所、学校、診療所などを備えた村が作られた。そして比較的近代的な村の新しい生活スタイルが伝統的な生活を凌駕し始めた。ツンドラの親元にいた子どもたちが、やがて小学校に通う年になると村の学校の宿舎に住み込み、1年のうち8ヶ月以上を村で過ごすことになる。ロシア人が多数を占める村で、10年以上にわたって徹底したロシア語による集団生活と教育を受けることが、若年層のロシア語への同化に拍車をかけたのである。 私がチュクチ語の現地調査を行なってきたチャウン地区のリトクーチ村とヤヌラナイ村では、それぞれチュクチ語に堪能な30代の教師が各年に1日1コマのチュクチ語の授業を行なっているだけである。彼らの懸命な努力にもかかわらず、子どもたちはチュクチ語にはあまり関心がなく、授業が終われば再びロシア語の世界に戻ってしまう。その結果若年層では、チュクチ語を流暢に話せる人はほとんどなく、大半がロシア語に同化している。チュクチ語を後世に残す試みとして これまでに、チュクチ人の作家や知識人は、文学作品(小説、詩集など)や民話集の出版などを通じて、民族固有の言語を後世に残す努力を続けてきた。一例を挙げると、チュクチ人の作家ユーリー・ルィトヘウ氏が1960年代からチュクチ語で多くの小説を執筆しており、代表作である『クジラの消えた日』は日本語にも翻訳されている。また1950年代の後半から、自治管区政府の資金援助により、「我が大地」と題するチュクチ語の新聞が週に1回発行されていたが、経済の落ち込みの煽りを受け、1998年に休刊に追い込まれた。 チュクチ自治管区では、学校の教科書を除くと、子どもたちがチュクチ語で読める本は大変不足している。この事情を考慮し、私自身が現地に研究成果を還元する目的で、10年前からチュクチ人のお年寄りから採集してきた多くの民話を編集し、『チュクチの民話』、『チュクチの動物譚たん』という2冊の本として出版した。これらは現地の学校の読物として使われている。また、チュクチ人の女性と協力し、フランス人小説家の有名な作品である『星の王子さま』のチュクチ語版を昨年出版した。今年はこの女性と協力し、過去に出版されたが、今は入手が困難になっているチュクチの民話集を再整理・編集し、一冊の本としてまとめ、出版する準備を進めている。 言語は民族独自の文化の最も象徴的な部分であり、それを失うことは民族のアイデンティティを失うことにも繋がる。私は言語という知的財産を自ら守っていくことの大切さをチュクチ語の研究を通じて深く感受したのである。15FIELDPLUS 2015 07 no.14リトクーチ村ヤヌラナイ村アナディルリトクーチ村ヤヌラナイ村アナディルロシアジャプール地域ネワダ村チェトラ村バフラーイチ県チュクチ自治管区チュクチ自治管区祭り用の服を着て、自分の踊りの順番をわくわくしながら待っているチュクチの少女。2002年8月撮影。筆者が収集、または整理・英訳して出版した『チュクチの民話』および『チュクチの動物譚』。チュクチ人の作家ユーリー・ルィトヘウ氏の代表作『クジラの消えた日』の日本語訳。トナカイの毛皮を広げ、その上で凍ったトナカイ肉を斧で叩き潰し、料理の準備をする女性。1997年10月撮影。イヌを連れ、トナカイの放牧に出かける息子を見送るチュクチ人の女性。1994年8月撮影。
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