10FIELDPLUS 2015 07 no.14社会をつくることが生物学的に決まっているわけではない人類が集団をつくってともに生きることは自然なことではない。そのために人類はどのような工夫をしているのだろうか。ここでは、カナダ北極圏の先住民であるイヌイトが拡大家族という集団をつくるために編み出した「生業システム」という工夫を紹介し、この問いについて考えてみよう。「ともに生きる」ことの困難 独りでいると寂しいのに、あまり長い時間、皆で一緒にいると、どこか鬱うっ陶とうしくなる。このようなことを感じたことはないだろうか。 人類は生活をともにする群居性動物であっても、アリやハチのように社会をつくることが生物学的に決まっている社会性動物ではなく、それゆえに、孤独に生きることができる。ここに、私たちが皆で一緒にいると、鬱陶しく感じる理由があるのかもしれない。それでも、私たちは現実に集団をつくり、ともに生活している。このことから、人類には集団でともに生きる能力があるのもたしかである。 こうした条件、すなわち、孤独でありえつつ他者とともに生きうるという条件の中で大小様々な集団をつくって維持しているのが、人類という生物種の特徴であるようだ。だからこそ、近代国民国家体制を準備した社会契約という装置が考案されたのだろう。自然状態ではばらばらな人間を繋げて集団をつくるためには、寂しさへの恐怖や他者への愛という感情的な動機があったとしても、孤独を選ぶこともできる勝手気儘な人間を束ねる何らかの装置が必要なのである。 それでは、そうした装置には、社会契約のほかに、どのようなものがあるのだろうか。そして、それは私たちに何を教えてくれるのだろう。ここでは、イヌイトが拡大家族という集団をつくるために編み出した「生業システム」という工夫を紹介し、この問いについて考えてみよう。イヌイトの生業システムの仕組み イヌイトの生業システムは、これまでの極北人類学の研究から、次のような循環システムとしてモデル化することができる(図1)。 まず、イヌイトが狩猟・漁労・罠猟という生業技術によって動物と「食べ物の贈り手(動物)/受け手(イヌイト)」という関係に入る。同時に、このとき手に入れた食べ物などの資源をイヌイトの間で分かち合うことで、イヌイトの日常的な社会関係の基礎となる拡大家族が生み出される。分かち合われる人びとの範囲は拡大家族だからである。このときに重要なのは、イヌイトの世界観では、生業を通したイヌイトと動物の関係として、次のように互いを助け合う「互恵的関係」が目指されることであり、その結果として、食べ物を分かち合うことが食べ物を得るためのルールになることである。 イヌイトの世界観では、動物は「魂」(tagniq)をもち、身体が滅んでもその魂が滅びることはないとされる。ただし、この動物の魂は、イヌイトがその身体を分かち合って食べ尽くさねば、新たな身体に再生することはできない。そのため、動物の魂は新たな身体に再生するために、自らの身体をイヌイトの間で分かち合われるべき食べ物としてイヌイトに与えることになる。このことは、イヌイトの側からみれば、食べ物という生存のための資源が与えられることになるので、イヌイトは動物の側から助けられることになる。つまり、イヌイトが目指す世界では、「動物はイヌイトに自らの身体を食べ物として与えることでイヌイトの生存を助け、イヌイトはその食べ物を自分たち(拡大家族)の間で分かち合うことで動物が新たな身体に再生するのを助ける」という互恵的な関係が成立するのである(図2)。 こうした世界観により、イヌイトは動物動物を通して家族をつくるカナダ・イヌイトの生業システムにみる世界生成の秘密大村敬一おおむら けいいち / 大阪大学、AA研共同研究員カリブーを仕留めたイヌイトの少年。1993年8月。海氷上でのアザラシ猟。2005年2月。西はシベリア東北端から東はグリーンランドにいたる広大な地域の、森林限界ラインの北側に位置する東西約10,000キロ、南北約6,000キロの極北ツンドラ地帯に住む狩猟採集民、イヌイト/ユッピク(Inuit/Yu’pik)のうち、カナダ北極圏に住む人びとがカナダ・イヌイトと呼ばれている。このイヌイトの村の一つ、クガールクで筆者はフィールドワークを行ってきた。筆者がお世話になっているイヌイトの拡大家族の人びと。2009年2月。北極点北極海太平洋大西洋クガールクロシア北極圏アラスカカナダグリーンランドアイスランドイギリスノルウェーフィンランドスウェーデン
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