FIELD PLUS No.13
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7FIELDPLUS 2015 01 no.13アフリカを席巻するケータイ。南部アフリカで狩猟採集生活を営んできたサン(ブッシュマン)の人びとにとっても、もはやめずらしいものではなくなった。広大なカラハリ砂漠で、彼らはケータイを片手に、いったい誰と何を話しているのだろうか。ボツワナの「電話してね」プロジェクト ボツワナからの電話は、最近、午前中にかかってくるようになった。電話の向こうは、真夜中だ。そのせいか、オーマはいつもよりはしゃいだような声で、「そっちは朝なの?」と聞いてくる。彼女は、私が調査地でいつもお世話になる家のお母さんだ。ボツワナと日本のあいだに時差というものがあるとはじめて聞いたときは、ずいぶん驚いていたが、今では、太陽が沈んでだいぶ経ってから、たぶんそろそろ太陽が日本に到着しただろう頃を見計らって、電話をくれるようになった。真夜中に起きて、ケータイを扱う彼女の手つきも、もはやすっかり手馴れているはずだ。 オーマたちが暮らすのは、ボツワナのカラハリ砂漠はずれに位置するコエンシャケネ再定住地。長年にわたって狩猟採集生活をおくってきたサンの人びとに、より「近代的な生活」をさせようと、1997年に政府が設けた。彼らがもともと生活していたセントラル・カラハリ動物保護区からは遠く離れた場所に位置し、小学校や村役場などが整えられ、賃金労働の機会も提供されている。でも14年前、私がはじめて彼女の家にお世話になったころは、ケータイどころか、公衆電話や郵便局の私書箱でさえ、100kmも離れた町ハンツィまで行かなければ使えなかった。 コエンシャケネにケータイの電波が届くようになったのは、2011年になってからのことだ。ボツワナ政府が2009年に始めたNteletsa―「電話してね」という名のプロジェクトによって、ケータイ電話網が商業的採算のとれない地域にも拡大された結果であった。他のアフリカ諸国と同様にボツワナでも、固定電話と比較すれば、インフラ整備が格段に容易で安価なケータイは、長年続いた電気通信へのアクセスの不均等を是正するものとして歓迎された。そしてサンのように遠隔地に住む少数民族も、ケータイを使ってさまざまな情報にアクセスできるようになれば、他の国民と同じような暮らしができるだけでなく、新たなビジネスのチャンスを獲得して「貧困状況」から抜け出すこともできると、多くの期待が寄せられたのだった。カラハリでもケータイが通じるようになった! 実際のところ、Nteletsaプロジェクトによってコエンシャケネにも電波塔が建てられると、サンの人びとはこぞってケータイを手に入れた。プロジェクトを請け負ったボツワナ三大ケータイ会社のひとつBeMobile社のSIMカードは、全国的に品薄になり、各地で売り切れが続くほどだった。オーマと夫も1台ずつケータイを入手した。オーマは、この年、政府が提供する賃金労働に就き、夫は病院で夜警として雇われていた。夫妻の現金収入は、月によって多少異なるものの、合計で1ヶ月1,000プラ(14,000円)前後であった。コエンシャケネの住民のなかでは、比較的恵まれているほうだが、とりわけ「金持ち」というわけではない。そうした「ふつうの人びと」にとっても、ケータイは手の届く範囲のものケータイをもって、原野に向かう丸山淳子まるやま じゅんこ / 津田塾大学、AA研共同研究員オーマがケータイをとりだすと、あっという間に子どもたちが彼女を囲んだ。セントラル・カラハリ動物保護区ボツワナハンツィコエンシャケネハボローネカウドワネ

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