FIELD PLUS No.13
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5FIELDPLUS 2015 01 no.13ンの利用も珍しいものではない。 セルテル・ケニア(現エアテル)は、サファリコムがサービスを開始した1年後に商業都市モンバサからサービスをはじめている。サファリコムがすでにナイロビからサービスをはじめていたことがその理由だと思われる。セルテル広報宣伝の担当者は、モンバサがケニアでも有数の商業都市であることも理由だと説明している。セルテルでは、サファリコムとは利用者拡大戦略が少し異なっていた。セルテルは、当初、SIMカードと機器をセットで格安販売し、バックマージンを利用料金に含めるという方法でケータイを販売していた。つまり、使用された電話料金のなかから機器代金を徴収するという方法である。2000年までSIMカードと機器のセットで8000シルという価格であり、その頃の通話料金が1分40シル程度だったという。この頃のセルテルのセールスポイントは次のようなものであった。アフリカの15の国々が1つのネットワークでつながっており、ケニア、ウガンダ、タンザニア、コンゴ(キンシャサ)、コンゴ(ブラザビル)、そしてガボンの6つの国の間では、国外にでても国内にいるのと同様に電源さえ入れれば使用できるというものだった。 現在では、サファリコム、エアテル、オレンジ、Yuなどの複数の会社がしのぎをけずっている。ケニアのケータイ利用者は、1人でいくつもの番号を保持している場合が少なからずある。異なる電話会社のSIMカードを入れ替えて、状況に応じて番号を柔軟に使い分け、それぞれ利用者が使いやすいようにしているのである。周縁地域におけるネットワーク 1990年代後半から2000年代初期にかけて、インフラの整備が進み、主要都市においてケータイの利用は可能となった。その後、徐々に周縁地域にもサービスエリアは拡大していった。たとえば、エチオピア国境やスーダン国境の付近に位置するトゥルカナ・カクマの難民キャンプ周辺において、2002年にサファリコムに緊急用のサービスポイントを作るよう働きかけたと、カクマのIT技術者であるマラキは語ってくれた。その後、2003年にサファリコムの電波塔が完成し、続いて2004年にセルテルの電波塔が完成したという。 また、観光地のマサイマラにおいて、次のような事例もあった。ナイロビのレストランでマネージャーをしているジョンがケータイを初めて購入したのは、マサイマラの高級ロッジでバーテンダーをしていた時のことだった。ジョンは、高級ロッジに宿泊していたオーストラリア人と仲良くなった。そのオーストラリア人は中古車をジョンに買ってくれたうえに、ナクルでケータイも買ってくれたという。1998年のことだった。シーメンス製の3500シルの機器であり、サファリコムのSIMカードは当時2500シルだったそうだ。10万シル以上していたSIMカードが1年ほどで暴落し、がんばれば手に入れられる程度の価格になったのだ。 2004年までジョンが働いていたマサイマラの高級ロッジでは、2006年頃までネットワークが開通しておらず、ケータイの利用はマサイマラから約80キロメートル離れたナロックという街やナクル、ナイバシャといった都市に遊びにでかけたときのみであった。日常的にケータイが利用できるわけではないのに、彼は「新しい技術だし、新しいものを使ってみたかった」と誇らしげに語っている。 ケニア最北西端にある牧畜社会トゥルカナにおけるケータイ利用サービスの開始に食事の準備(2011)。食事前に電話する(2011)。

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