FIELD PLUS No.13
6/36

4FIELDPLUS 2015 01 no.13世界中を席巻するモバイルメディア。2000年代は、アフリカや内陸アジアでの普及が顕著だったと言われている。ケニアでも2000年代がモバイルメディア草創期だった。ケータイの普及について、そのプロセスを確認してみたい。電話番号情報を識別する電子カード、つまりSIM(Subscriber Identity Module)カードが必要である。当初ナイロビで発売されたSIMカードは、10万8000シル(日本円にして15万円くらい)であった。また機器ネットワークの拡大 1997年、ケニアで最初の携帯電話会社サファリコムが、テルコム・ケニアから独立し、設立された。日本でも同様であるが、ケータイを利用するためには、電話機器とは、約3万から6万シルであった。小学校教員の初任給が1万3000シルであったことを考えるととてつもなく高価な道具だったといえる。 ケータイが利用可能な地域は、ナイロビを起点に、インド洋岸のモンバサ、そしてビクトリア湖畔のキスム、内陸部のナクルなど、主要都市とそれらの都市同士をつなぐ幹線道路を中心に拡大していった。発売初期には、特別の電話番号が割り当てられており、0722510000番台は、ナイロビにおいて発売された番号であり、0722410000番台はモンバサで発売されたものである。当初、SIMカードが高価だったため、これらの番号のSIMカードをもつ人間は「お金持ち」ということになる。 その後SIMカードの価格も下がり、2000年にサファリコムは、英国のボーダフォン・グループの傘下となり、利用者は約2万人へと増加した。2014年現在では、普及率は7割を超えている。もちろん、スマートフォケニア・ケータイ普及の歴史羽渕一代はぶち いちよ / 弘前大学、AA研共同研究員トゥルカナの田舎で国勢調査をうけるお父さん(2009)。調査項目に電話の有無はなかった。携帯電話をみせてくれるトゥルカナの若者たち(2007)。都市を離れて周縁地域に行くと、電話機器はどこか壊れている。ネットワークがつながったばかりのトゥルカナ湖畔・カラコル(2010)。トゥルカナ湖ケニアナクルマサイマラキスムエルドレットトゥルカナの調査フィールドナイロビモンバサ

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る