FIELD PLUS No.13
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21FIELDPLUS 2015 01 no.13は零細農の耕地として、石材の採掘地として、あるいは放牧の重要なルートや遊動民たちの野営地として。 経済活動だけではない。沙漠のいたるところに、現地の人びとが信仰する無数の民俗神(その多くは多様な性格や姿をもつ女神たち)が祀られている。祀られる女神の姿は一本の木であったり、積み重ねた石だったり、小高い丘だったりするので、はたからはその周辺が神様の聖地であると理解できないことが多い。さらに、沙漠は多種多様な動植物たちの住処でもある。 このような世界が「No Man’s Land(登記されていない土地)」として開発の対象となり、人びとの出入りすら禁じられることになった(周辺の住人が風車建設用の資材を盗むから、というのが理由だ)。開発を推進する人びとと、現地に生きる人びとの間には大きな認識の溝が存在するのだ。人びとの訴え 実際、現地の人びとは多くの不満(時には怒り)を口にする。羊や山羊の放牧ルートが断絶されてしまったこと、篤く信仰していた女神の聖地に近づけなくなってしまったこと、風車の羽根(ブレード)の風を切る音がうるさくて夜に眠れなくなったこと(時には耳鳴りをおこすこと)、風車が夜中に発する点滅光が不快であること(月や星の光がかすんでしまった)、多くの鳥たちがブレードに衝突して死んでしまっていること、などが代表的なものだ。風車が集中して設置されてきた小高い丘の上は、人びとにとって日々の疲れを癒す「息つく場所」としても重要な地でもあった(「いったいどこで休息を取ればいいんだ」と人びとは語る)。 また同エリアは、ラクダに乗って周遊する「キャメル・サファリ」ツアーのルートでもあり、風車が乱立する「殺伐とした」「近代的」景観によってツアー客が減少していること、映画の撮影地としての需要が無くなってしまったことなども観光関係者から指摘されている。生み出された格差 これらの不満や憤りの背景には、巨大開発の傍らで何一つ益を得ていない人びとのフラストレーションが存在することは確かだろう。風力発電に関連する設備が自身の生活空間にまで次々に迫ってきていても、依然として電気のない生活を続けざるを得ない人びとの、異議申し立てでもあるのだ。その証拠として、開発事業に関わることができ、利益を得ることのできた数少ない人びとからは、不満を漏らす声はあがっていない。彼らは、風力発電開発が推進される中で、自身の土地に風車が建てられたことに対する補償金や建設関連の職を得てきた人々だ。 興味深いのは、彼ら受益者たちは特定の集団(カースト)に集中していることである。具体的には、沙漠社会において「伝統的」に権力を掌握してきた王族の末裔たちであるラージプートと呼ばれる人びとだ。開発にあたって、政府関係者や電力会社の職員たちは、現地の有力者を中心に据えて開発計画を練る。したがってこのラージプートたちが、生み出される利権のほぼすべてを排他的に掌握するという事態が起きていた。近代化の過程で、長い時間をかけて少しずつ崩壊しつつあった旧来の社会階層の構造が、開発事業が推進されることで再度強化され、固定化されていく状況が生まれている。また、カースト社会のなかで最上位の階層に位置づけられるバラモン(司祭階層)の人びとは、彼らの管理する聖地に対する補償金を請求し大きな益を得ているという話が聞かれたが、真偽のほどはまだわかっていない。しかし、開発事業が本格化した2000年代以降に改修・改築した(バラモンが管理・所有する)寺院が非常に目立っているのも、こうした背景があると考えられる。新たな開発モデルを! 広大なエリアの風力発電でつくられた電力は、州政府や民間の電力会社に買い取られ、州内の都市部や大企業などに送電される。沙漠に張り巡らされた送電線は、地元民にとってはどこに通じているかわからない、ジリジリと音を立てる不快な「鉄線」でしかない。巨大開発の陰には、環境の大きな変化になじむことができない置き去りにされた人びとの姿や、開発がもたらす権益による社会構造の不均衡な変容のかたちが必ずみられるものだ。政府や都市部の住民、大企業の益は、このような周縁に生きる人びとの犠牲のもとに成り立っていることは、見過ごしてはならない。 取り残された人びとをも含み込んだ包括的な開発計画が提示されない限り、また環境や社会への影響にも考慮した持続性の高い開発モデルを構築しない限り、我々は再生可能エネルギー時代の到来を闇雲に歓待することは難しいのではないか。沙漠の人びとの声は、私にそう訴えかけてくるのだ。数日前に落ちた風車の羽根(ブレード)とともに。観光地・映画撮影地として有名なバラー・バーグ公園。背景に風車が写りこむことを理由に、映画の撮影は激減した。風車の建設と同時期に始まった周辺地域の寺院の改修・改築ラッシュ。関連性はあるのか。沙漠に生きる少女たち。ホーリー(色かけ祭り)の際に撮影。彼らの未来のために何ができるだろうか。

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