20FIELDPLUS 2015 01 no.13新しいエネルギー産業の時代へ 2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所、「フクイチ」がもたらした悪夢は、人間が生きて行くために必要とするエネルギーへの人びとの意識を転換させ、国家によるエネルギー政策がうたっていた強固な安全神話を崩壊させるにあまりあるショッキングな出来事だった。それまで原子力エネルギーこそが最も「エコ」で「クリーン」なものだと主張していた多くの論者は雲散霧消してしまった。世の中は反原発、脱原発の大コールで埋まり、再生可能エネルギーへの各国の投資額が年々急増している。世界中のシンクタンクや国際組織は、自然エネルギーを中心に据えた政策のシナリオをこぞって提示しはじめた。 私は、人類学者特有の悪い(?)癖が高じ、再生可能エネルギーを無批判に称揚する世の風潮に対し、なんとなく危うさを感じ始めていた。折しも、私がフィールド調査を続けてきたインド北西部タール沙漠では風力発電開発事業が急ピッチで進められており、それまでの沙漠の景観を大きく変容させようとしていた。こうした状況が重なり、私は沙漠に生きる人びとの目に自然エネルギーの開発事業がどのように映っているのかに興味をもち、調査を始めたのである。インドと風力発電 インドは、経済自由化へと大きく舵を切った1990年代以降、急速な経済成長を遂げてきた。成長に伴い電力需要が高まる中、インドは慢性的なエネルギー不足に悩まされてきた。また化石燃料による発電から生じるCO2の排出削減の必要にも迫られており、中央政府は再生可能エネルギーの開発に力を注いできた。2011年には、日本もこのインドのエネルギー開発事業に対して巨額の借款を行っているので、人ごとではない。中でも風力はその中核をなしており、2012年には1年間の風力発電設備の導入量は米国、中国、ドイツに次ぐ世界第4位ともなっている。 風力発電は広大な土地を必要とする。より効率的にパワーを得るために風車(風力タービン)の受風面積を大きくし、かつ隣接する風車の風圧の影響を削減するためには、かなりの距離を取らなければならない。また経済効率上、大量の風車を設置しなければならないものなのだ。「何もない広大な土地」と考えられてきたインド北西部の沙漠地帯が、風力発電開発の中心地となるのは当然のことに思える(同様に、この沙漠地帯は核兵器開発の実験場も提供してきた)。豊かな沙漠の世界 沙漠は、本当に何もない世界なのだろうか。白状すると、20年前にフィールド調査を始めた頃は、私も同様の感覚を持っていた。広漠とした不毛の大地の連続だと。その後の長い関わり合いの中で、当初の感覚がことごとく間違っていたことに気づいた。延々と続く大地は、その全てに意味があり、人びとの生活にとって重要な場だったのだ――ある場所インド・タール沙漠に突如として現れた風車群。新しいエネルギー産業の時代の到来と共に、沙漠に生きる人びとはそこに何を見、また彼らの生活はどう変わっていくのか。インドの周縁からのフィールド報告。フィールドノート 沙漠に風車がやってきた!インド・タール沙漠の風力発電開発と人びとの暮らし小西公大 こにし こうだい / 東京外国語大学現代インド研究センター特定研究員、AA研共同研究員タール沙漠の典型的な景観。雨季に撮影したもので、積乱雲が美しい。群をなす羊。放牧のルートは沙漠に生きる人びとの生命線。人びとが生活する場の近くまで迫る風車。この家族は耳鳴りがすると訴えた。林立する風力タービン。高さは100メートルを超える。インドタール沙漠ニューデリー
元のページ ../index.html#22