7FIELDPLUS 2014 07 no.12他国からの長い支配を乗り越え、2002年に独立を果たした21世紀最初の独立国東ティモール。その複雑な多言語状況のいまを紹介する。多言語国家 公用語はテトゥン語とポルトガル語で、加えてインドネシア語・英語も実用語に指定されている。この他にオーストロネシア語族の言語が13言語、パプア諸語に分類される言語が4言語話されている。岩手県ほどの面積しかない国で20もの言語が話されているだけでも驚きだが、それに加えオーストロネシア語族の言語とパプア諸語の言語は全く系統の異なる言語である。別の言語を話すもの同士が会話する場合は、テトゥン語が共通語として用いられることが多い。隣り合った村で言語が異なることも多々あるが、その場合は住民が互いに隣村の言語を話すことも多い。例えば、筆者の調査協力者の、バウカウ県のある村に住む30代男性は、家族と話す時は母語のナウエティ語(オーストロネシア語族)を話し、隣の村の人と話す場合はマカサエ語(パプア諸語)を話し、県外の人と話す場合はテトゥン語を話し、加えて、インドネシア時代に教育を受けたのでインドネシア語も話す。このように、農村部に住む者にとって日常的に3〜4言語を話すのはごく普通のことである。まさに多言語国家である。言語が歴史を反映する テトゥン語は東ティモールという国の歴史を反映している。テトゥン語には大きく2つの変種があり、1つは公用語テトゥン語で、テトゥン・ディリ語と呼ばれ、もう1つは南部とインドネシアとの国境線の両側で話されるテトゥン・テリック語である。大航海時代にポルトガル人が到来した頃、ティモール島の東側ではテトゥン・テリック語を話す2つの勢力が覇権を握っており、その頃既に文法的に簡略化されたテトゥン・テリック語が地域共通語の役割を果たしていた。ポルトガルが公式に支配するようになると、その地域共通語がポルトガル語の影響を受け始め、19世紀までには現在の首都ディリの住民はポルトガル語と地域共通語のバイリンガルとなった。その結果、地域共通語はポルトガル語の影響を大きく受け、首都の名を付けてテトゥン・ディリ語と呼ばれる言語となる。また、1975年以降は、インドネシア語の影響が強まり、特にビジネス関アジアで一番新しい国 東ティモールは、東南アジア島嶼部小スンダ列島に位置する国で、ティモール島の東半分、西半分に位置する飛び地、2つの小島から成る。16世紀末から1974年までのポルトガルによる支配と、1975年から1999年までのインドネシアによる支配を経て、2002年独立を果たした21世紀最初の独立国である。連の語彙にインドネシア語からの借用語が多く見られる。言語問題 現在40代から50代の、ポルトガル時代に教育を受けた者はポルトガル語を話し、インドネシア統治時代に教育を受けたそれより若い者はインドネシア語を話す。独立後はインドネシア語を排除しポルトガル語を奨励する動きが盛んである。政府の役人にはポルトガル語に愛着を感じる者が多く、公用語に名を連ねている。しかし、国勢調査によると国民でポルトガル語を話すのは多くても20%程度にとどまり、インドネシア語を話す人口の方が50%と上回っている。インドネシア語に関しては、日常的に接する機会があり、全国的にテレビの娯楽番組を通して幼少期からインドネシア語のシャワーを浴びている者が多い。ナウエティの村で母親が子供をあやす際にインドネシアの子供番組の歌を歌っているのを聞いて驚いたことがある。一方、ポルトガル語は、独立後小学校から教育がなされているが、十分な知識を持った教師が足りておらず、うまく機能していないようである。筆者がある村の小学校の校長先生に自宅に招かれた際に、先生のところにポルトガル語が分からないので教えて欲しいという電話がかかってきたことがある。その人の村の病院にはポルトガル語話者の医師しかいないらしく、ポルトガル語が分からないのでうまく病状を伝えられなかったのである。 新しい国作りで重要なのは若い世代の教育であり、教育において重要な役割を果たすのがことばである。テトゥン語は国民の80%が話す言語である。小学校から教育言語として用いられているが、学術用語の不足、テトゥン語の教科書の欠如など問題がある。しかし、東ティモールを1つにまとめるのは国民の多くが話し理解するテトゥン語であろう。これからテトゥン語教育・テトゥン語による教育の整備が期待される。多言語国家ならではの問題も多く抱えている東ティモールであるが、多言語状況がどのように変化していくのか、これからも見守っていきたい。多言語国家東ティモール 髙野啓太たかの けいた / 東京大学大学院人文社会系研究科言語学専門分野ディリの海岸に立つテトゥン語で書かれた環境局の看板。野生のワニに注意!uma lulik(聖なる家)という先祖をまつる建物を建てるために使う木材を村人総出で運ぶ行事。テトゥン語で書かれたキオスクの看板「ここで(携帯電話を)チャージしてください」(左)。ポルトガル語で書かれた同看板(右)。東ティモールディリインドネシア
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