FIELD PLUS No.12
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6FIELDPLUS 2014 07 no.12インドネシアには話者数の少ない民族語が狭い地域に多数存在している地域がある。その一つ、北スラウェシ州の、多言語状況――国語インドネシア語、地域共通語であるマナド・マレー(マレー語マナド方言)、そして土着の民族語の併存――について述べてみたい。業の中心地でもあり、多くの地域から職を求める人々をひきつけている。そこでは「マナド・マレー」と呼ばれるマレー語の変種が地域共通語として用いられている。つまりこの地域には、主として書き言葉として用いられる「インドネシア語」、地域共通語である「マナド・マレー」、土着言語である「民族語」の3種類の言葉が併存していることになる。この3種類のうちマナド・マレーが近年最も優勢で、北スラウェシ州の若い世代(おおむね1980年代以降の生まれ)は、少数民族の出自を持っていても、ほぼこの言語を第1言語として習得している。 民族語はマナド市近郊の村々や、そこから1時間程度にある教育機関が集中するトモホン市近郊の村々でも話されているが、これらの都市にアクセスが良い場所はベッドタウンとなって多くの他民族が流入してくる。こういった村の小学校には多数の民族の出自を持つ児童がいるため、1つの民族語を取り上げて教えることは好まれない。また、小学校の教師には学歴などの条件があり、民族語や民族の伝統芸能の知識が豊富な人を教師として迎えることは難しい。マナド・マレーの勢力 マナド・マレーはインドネシア語と同様、マレー語の一変種であるが、インドネシア語北スラウェシ州の言語状況 私が言語調査を行っているインドネシアの北スラウェシ州は細長いミナハサ半島とその周辺、そして南のフィリピンに向かって点在する島々からなり、その面積(約15,000km2)に比較して多い、11の土着の民族語が話されている。 民族語は、スハルト時代終了以降に復興の動きを見せ、州によっては小学校などで実施されている「地域科目」や地域の集まりで民族語や民族の伝統芸能を教える場合もある。しかし、北スラウェシ州では、全く民族語の伝承が行われない場合もある。その違いは民族語の話者数と、話者がどれだけ固まって住んでいるかによる。 北スラウェシ州で話されている11の民族語の話者人口は、それぞれ1万人から4万人程度と決して多くはない。北スラウェシ州の州都であるマナド市は40万人の人口を擁し、商とは発音や文法がかなり異なり、慣れていないと理解できない。 そのため、マナド・マレーは北スラウェシ州の若い世代の人々にとっては民族語に替わるアイデンティティとなってきた。1990年代には2種類のマナド・マレー(およびマナド近郊の文化)辞典が出版されたり、地域のラジオで放送され有名になった多くのマナド・マレーの歌が収録されたCDなどが売られている。民族語の未来 民族語はこのまま消滅していくのだろうか。現在、北スラウェシ州の若い世代はマナド・マレーを家庭や友達との間で使用し、学校で学ぶインドネシア語をフォーマルな場面で使用している。民族語は同じ民族の出自を持つ高齢者同士の会話において用いられるのみである。 子ども達はマナド・マレーを母語として育つが、良い教育と職業を得るためにはインドネシア語の能力が必要である。私が集計したアンケート結果によると、10代以下の子どもを持つ親の多くは子どもにインドネシア語を学習してほしいと答え、1割くらいは英語を学習してほしいと答える。民族語を挙げる親はほとんどいない。 日常生活の様々な場面で毎日使われていないと十分な言語感覚は育たないし、親たちも子どもに民族語を積極的に教えない。その観点からすると、残念ながら民族語の未来は暗い。唯一、使用が継続される場面は歌、踊りなどの芸能分野だと思われる。民族語の歌のCDもちらほらと売り出されるようになってきた。地域の祭りやイベントで伝統の踊りを、民族語で歌いながら踊ることもある。歌手も踊り手も10代から30代の人が多く、実に楽しそうに練習して本番に臨んでいる。日常生活で使われなくなっても、芸能分野でのみわずかながら存続していくのかもしれない。インドネシア北スラウェシ州の少数民族が使う多種の言語内海敦子うつみ あつこ / 明星大学、AA研共同研究員少数民族語の1つ、トンダノ語で「人は人を育てることによって人となる」(地域の英雄、サム・ラトゥランギの言葉)というスローガンが書かれた北スラウェシのサム・ラトゥランギ空港の壁。木陰で涼む家畜たち。村の教会と道を歩く人。マナド・マレーで「SIMPATIを使おう:私たちみんなの(SIM)カード」と書かれた広告。マナド北スラウェシ州スラウェシ島インドネシア

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