4FIELDPLUS 2014 07 no.12サプカン島はローカルな海上交通の要衝、交易や漁業の拠点になっている。岸辺には多数の漁船や小型客船が集まる。埠頭周辺の街路には商店が立ち並ぶ。スラバヤ、マカッサルなどの大都市から様々なモノが集まる。イスラーム学校(マドゥラサ)でアラビア語を学ぶ少女。島には初等から高校レベルまでのイスラーム学校が多数ある。海域東南アジアは世界有数の多言語地帯である。海の民は島々を行き交う。かれらの多様な言語はときに混じりあい、島のコトバになった。境域を生きる海民、バジャウ人の言語実践にそうした混淆性をみてみよう。海域東南アジアの多言語状況 マレー半島の東に広がる海域東南アジアは、世界でも有数の多民族・多言語地帯である。フィリピン、マレーシア、インドネシアの3カ国でみても、ここには実に1200を超す民族が住む。もちろん言語も多様である。いまみた3カ国では、どこでも国家が規定する国語または公用語が普及している。しかし、在地の民族語も多くの地域で維持されている。2010年のインドネシアの人口センサスによれば、総人口のうち79.5パーセントの人がそれぞれの民族語を日常的に話している。さらに一定の地理的範囲で民族語を超えて話される、国語とは別の地域共通語もある。市場やモスク、食堂など、準公的な場所で話される言葉である。フィリピンの中部地域で話されるビサヤ語は、よく知られた地域共通語である。 海域東南アジアの人々は、海を渡り、次々と新たな生計の場を求める移動性の高い生活を古くから営んできた。研究者は、離散移住志向の強さを特徴とするこの地域の人々を海民と呼ぶ。海域東南アジアの港や市場には、様々な民族出自を持つそうした海民が集まる。そこではおのずと複数の言語が話され、またそれらが混淆する。いま触れた地域共通語は、特定の民族の言語を土台としつつも、そうした混淆性を備えていることが多い。バジャウ人にみる言語使用の混淆性 言語使用の混淆性は、異なる文化圏が交差するところではより顕著になる。ここ数年、私がフィールドワークを続けている島、インドネシア・東ジャワ州のサプカン島の例をあげよう。島はジャワ海の東の果て、南スラウェシを故地とするブギス・マンダル・マカッサル文化圏の縁辺、ジャワ・マドゥラ文化圏との交差域に位置する。 サプカン島は広さ1平方キロメートル弱の小島にすぎない。しかし、海道の要衝に位置するため、人口は1万人を超える。人口の多数を占めているのは、東南アジアを代表する海民集団のひとつ、バジャウ(サマ)人である。ここではバジャウ人はスラウェシ島からの移民とされているが、故地はよくわかっていない。なお、住民はほぼすべてムスリムである。島ではかれらの言語、バジャウ語が地域共通語になっている。ただ興味深いことに、この島では、バジャウを名乗り、バジャウ語を話す人であっても、両親や祖父母がブギス人やマンダル人などの別の民族であることが少なくない。つまり、わずか1~2世代前には異なる言語を母語としていたのである。 そうしたバジャウ人を中心とするサプカン島での言語使用は、2つの意味で混淆的である。第一に、ここでのバジャウ語は、ブギス語やマンダル語に由来する語彙を多数含んでいる。文法面でも後者の影響を受けている。第二に、島ではしばしば意図的に複数の言語が混用される。たとえば、手書きのイスラームのテクストには、しばしばアラビア文字表記のバジャウ語とマンダル語、マレー語が混在する。いまではインドネシア語にとってかわられているが、1980-90年代まで、クルアーン(コーラン)の学習ではブギス語が使われていた。マントラ――境域の言語実践 マントラ(呪文)での言語使用は、複数言語の混用という面で特に興味深い。島のマントラの師は、バジャウ語に加え、ジャワ語、ブギス語、マンダル語など、この島を往来する様々な民族の言語をその呪文のなかで用いる。文字も混淆的である。アラビア文字やロンタラ文字、ラテン文字を織り交ぜて書き記す。しかも、文字と言語がしばしば変則的に組み合わせられる。たとえば、ロンタラ文字は通常、ブギス語等の南スラウェシの言語を記すために用いられる。しかし師は、そのロンタラ文字を使ってあえてバジャウ語を記す。弟子以外の他人が容易に読めないようにしているのである。 いまみたような混淆的な言語空間がつくられ、また維持されてきたのは、この島が異なる民族や文化が交錯し、またそれらが遷移していく場、つまり境域に位置しているからといえるだろう。島は行政体系のなかでは周辺でしかない。しかし、けっして閉じられた世界ではない。ここにはたえざる人・モノ・知識のフローがある。マントラの師のみならず島民は、そのフローのなかで異種混淆の社会と文化を築いてきた。サプカン島でみられるのは、そうした開かれた境域での言語実践なのである。海域東南アジア境域の言語実践と混淆性長津一史ながつ かずふみ / 東洋大学サプカン島のマントラ(呪文)①~③の3種のマントラが記されている。①は遠方の人を招き寄せるためのマントラ、②は女性を惹きつけるためのマントラ。③は他人を自分に惚れさせるためのマントラ。1段目に記されているのはロンタラ文字表記のバジャウ語。2段目はイスラームの章句(バスマラ)。3段目以降ではアラビア文字表記のマレー語とジャワ語が混在している。①②③インドネシアサプカン島ジャワ島バリ島
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