31FIELDPLUS 2014 07 no.12ヒレム(パン)。いわゆるハード系で、少し酸味がある。切り分けてバターやジャム、砂糖などを塗って食べる。手前の飲み物が朝食で飲む茶、フテー・サイ(ミルクティ)。周辺のモンゴル系の人々は鍋で茶葉を煮出すのだが、シネヘン・ブリヤートはもっぱらロシア製のティーバッグで紅茶を淹れ、そこにミルクを足す。ウシの胃袋にその他の内臓を詰め込んで冷凍保存した「ヒャルマス」と呼ばれる食材。使用する分だけ切り取って、ボーズやシャルビンの餡として使う。トマトと卵の炒め物など、家庭的な中華料理が並ぶこともある。麦粉の生地で包み蒸したボーズ(中国語「包子(パオズ)」からの借用語)や、同じく餡を包んで揚げたシャルビン(同じく中国語「餡児餅」から)を作ったり、赤身肉・脂身を別々に細かく刻んでうどんの具としたりする。長期保存のために干し肉を作ったり、ウシの胃袋に内臓を詰めて冷凍保存したりもする。以上のような加工は、基本的に肉・小麦粉をメインの食材としている。これがモンゴルの食文化の特徴といえる。中華風の料理 この地に暮らすことで新たに加わったのが、野菜などの食材も使った、いわゆる「中華料理」風の食事だ。内モンゴル自治区東部に近い東北三省(黒竜江省、遼寧省、吉林省)の中華料理は醤油ベースの濃い味付けが特徴となっている。この醤油ベースの炒め物も、各家庭で夕食時によく出される。フルンボイル特産のキクラゲを使った玉子炒め、ヒツジ肉とキュウリ・ニンジンなどの炒め物など、ありあわせの食材を炒めることが多い。このほか、鶏手羽や川魚を使ったスープ、干豆腐とよばれるシート状の豆腐とキュウリなどを和えたサラダなど、モンゴル国やロシアの牧畜民の家庭料理ではまず目にすることのない料理が並ぶ。このときの主食は白飯。そこにモンゴルらしさは感じられない。ロシアらしさが残る朝食 一方、亡命前の食文化が色濃く残されているのが朝食だ。朝食はおもにパンと茶で済ませる。この朝食のパンと茶が、かつて祖先がロシア領内に暮らしていたことを示す象徴となっている。各家庭で小麦粉をこね、パンを焼いて食べるのは、ロシア領内に暮らすブリヤートにも共通する慣習だ。パンはブリヤート語で(シネヘン・ブリヤート語でも)ヒレムと呼ばれる。これはロシア語でパンを意味するフリェプからの借用語だ。このことからロシア文化からパンを焼く習慣が取り入れられたことが推測される。さらにもとの単語と発音がかなり異なっているため、その習慣がある程度古くから存在しているということも考えられる。 フルンボイル地域に暮らす他のモンゴル系の人々や漢民族にはこのパン食の習慣はない。彼らは小麦粉をこねた生地を蒸したマントー(万頭)を食べる。そのためパンはシネヘン・ブリヤートの一つのアイデンティティにもなっており、フルンボイルについて紹介したブックレットにも「ブリヤート・パン(布利亜特面包)」がシネヘン・ブリヤートの慣習としてとりあげられている。パンを切らしているときはやむなく商店からマントーを買ってきて食べる日もあるが、パンでなければイヤだという人がシネヘン・ブリヤートには多い。 こうして、彼らはさまざまな食文化を自らの食生活に柔軟に取り入れてきた。こうした姿は、いまの日本の食生活にも共通している部分があろう。もちろん、彼らの嗜好も少しずつ変化してきている。筆者がお世話になっている家庭の青年T君は、両親からブリヤートらしくないとからかわれている。ボーズや肉うどんを好まず、鶏肉と白飯を好んで食べるからだ。亡命後約1世紀を経て、彼らの言語は中国語や他のモンゴル系言語の影響を受けて変化しつつある。その言語変化の状況だけでなく、(調査の本筋ではないのだが、)彼らの食生活の変化も、今後気になるところだ。
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