替えられているため、なかなか衰退に気づかない。 スワヒリ語以外の民族語の急速な衰退に危機感を募らせた国の最高研究機関であるダルエスサラーム大学は2001年、スウェーデン国際開発協力庁(SIDA)の援助を受けてLanguages of Tanzania Project(通称LoTプロジェクト)を発足させた。これは英語・スワヒリ語以外の国内言語の記録、保存を目指すものだ。同プロジェクトでは、これまで30巻以上の辞書、文法書、言語地図、民話集などを刊行している。ちなみにタンザニア手話もこのプロジェクトの対象言語である。ベンデ語の現況 ベンデ語がどれほど消滅の危機に瀕しているのか正確に計測するのは難しいのだが、近年、ベンデ人コミュニティでは少しずつ言語再生化への動きが高まっている。 ベンデ人にはトングェ人という隣人がおり、両集団は「兄弟であり、同じ言葉を話す」と語られる。両集団とも決して大きくないが(エスノローグの統計ではベンデ語話者が27,000人、トングェ語話者が20,000人)、ベンデ語あるいはトングェ語を調査する場合は両方の言語データが必要だ。 ベンデ人とトングェ人を比べると、ベンデ人地域の方が他民族との混住が進んでおり、ベンデ語の継承を放棄する傾向が強い。そのためトングェ語の方が古い形を保っている。ベンデ人地域では、多くの場合、祖父母世代と親世代のみがベンデ語を話すのだが、親世代は聞いてわかるという受動的話者、若年層に至っては、かろうじて挨拶ができる程度である。 こうした現状に危機感を募らせた祖父母世代が行動を起こした。2012年にベンデ人が主要構成民族の1つとなっている地域が、それまで帰属してくれた貴重な資料をコミュニティの手に戻す繋ぎ役になりたい、と思う。ベンデ語学習教材 コミュニティへの成果還元のひとつとして2006年、拙い仕事ながらベンデ語の語彙集を彼らに送り届けることができた。2010年以降は、現地コミュニティを対象としたベンデ語学習教材を作成している。語彙集の編集は、ほぼ自分ひとりの作業であったが、教材作成は2人の共著者と進めている。3人で内容構成について、あれこれ意見を交わす日々は、これまでに体験したことのない刺激的なもので、ようやく「共に仕事をしている」と感じる。 教材作成の過程では、さらなる協力も得た。これまで私の言語調査を遠巻きに見ていた村の人びとも、少しずつ関心を寄せてくれるようになったのである。村一番の絵描きは、教材の挿絵を描いてくれている。彼は教材の内容を熟読してイメージを膨らませ、挿絵はとてもベンデらしい作品に仕上がった。さらに、教材にはビデオ映像を付けることにしたのだが、多くの村人が撮影に協力してくれた。映像は、現在、鋭意編集中である。 この活動にはUWAMPATAも協力的だ。彼らの多くは都市民のため、次の世代へのベンデ語の継承がほとんどない。そのためベンデ語が失われることへの危機感が強く、私たちの教材へのニーズが高い。彼らからは「もっとたくさんの精霊の話や、他の方言も載せてほしい」という希望も多く寄せられている。そのために調査協力者を紹介したり、集会を開くなど、惜しみない協力を提供してくれている。時間をかけて少しずつ 今ではUWAMPATAの協力があり、村人も協力を申し出てくれるなど、手探りで調査を始めた10数年前から比べると状況は夢のように恵まれている。もちろん、依然として疑いの目で私を見る人もいる。しかしベンデ人に隣接する民族集団の調査のために20年、同じ地域に通い続けている文化人類学者はいう。信頼関係の構築にはもっと時間が必要なのだ、と。時間をかければ、少しずつ仲間が増える。そうした仲間と一緒に、人とことばを繋ぐお手伝いを続けることが、今はとても楽しい。ていたルクワ州から分離してカタヴィ州となったことがきっかけだ。ベンデ語、ベンデ文化の継承について話し合う機会が増え、ベンデ人の政治組織UWAMPATAが設立された。ちなみにカタヴィはベンデ・トングェ人の間で語り継がれる精霊の名前である。UWAMPATAには多くのトングェ人も属し、同じ仲間として活動している。研究の蓄積を繋ぐ トングェの人びとと文化に関しては、日本人による貴重な研究資料の蓄積がある。ベンデ人とトングェ人は精霊や民話などを共有し、言語も「ほぼ同じ」だ。トングェ人はタンガニイカ湖畔のマハレ山塊に住む人びとであるが、この地では1965年以降、日本人研究者が主に霊長類(チンパンジー)の継続調査を行っている。とりわけ貴重なのは、故西田利貞先生(京都大学名誉教授、元日本モンキーセンター所長)と故掛谷誠先生(京都大学名誉教授)が収集した、トングェの唄・語りの録音テープとフィールドノートである。両先生の手で、1960~80年代にかけてトングェ語の歴史的資料が保存されたのである。また、この研究チームは同地のトングェ語植物名・動物名の収集・同定という大業を成し遂げている。 私の調査では、ベンデの調査協力者に西田・掛谷両先生が残した資料の書き起こしを手伝ってもらうことがある。50年前の「語り」を聞いて、彼らは失ったものの大きさを痛感するようだ。作業を通じて、コミュニティの一人ひとりが言語の再活性化について考えるようになってきた。これはまさに先人の研究の蓄積があってこその変化である。 今、余所者である私がコミュニティにできる数少ない貢献のひとつがこれではないか、と感じている。私の調査結果はもちろんだが、先人の残し29FIELDPLUS 2014 07 no.12UWAMPATAの会合で活動紹介(2013年11月)。ママたちもベンデ語は話さない。スワヒリ語で育てる。ベンデ語教材用ビデオ撮影の様子。
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