25FIELDPLUS 2014 07 no.12紅海に臨むアイザーブの港市遺跡(1986年2月)。聖者シャーズィリーの霊廟のあるフメイトラーのオアシスに至る砂漠道(2000年2月)。実、デーツを積み込むこと、毎年、このようにアラビア海の往復航海を続けており、時には南アラビアのライスート、アデンや東アフリカ海岸のモンバサなどにも行くとのことでした。 私は、幼い頃から海の世界に憧れのようなものを抱いていたこともあって、その話を聞いた時、ダウが永年にわたり往還運動をおこなっているペルシア湾・アラビア海という海域世界をさらに拡大させた「インド洋海域世界」という新しいパラダイムを発案するようになったのです。 そして、1974年以降のフィールドワークでは、いわばインド洋海域世界というバーチャルな世界の具体像、そのリアリティーをできる限り自分のものとして認識し、身近で確かなものにするため、全インド洋の国々の各地、港や島嶼を広く旅することによって、そこに共通する海域世界の実像を捉えること、さらには地中海世界とも比較したのです。そうしたフィールドで得た感覚や成果をベースにして、記録史料を読み、解き、語るという研究プロセスを実践してきました。私が研究リーダーとなって組織した海外調査では、飯塚さんと一緒にオマーンとアラブ首長国連邦を訪れましたね。飯塚◦先生はフィールドで、例えば、オマーンのスールや、アラブ首長国連邦のドバイ、ホールファッカンなどの港で、ダウに乗っている人たちとよくお話しされていましたよね。中東の人間が明るいこともあると思うのですが、海の人間というのは、家島先生の質問にフレンドリーに応じてきて、色々なことを答えますよね。家島◦彼ら海の人間にとって移動というのは非日常のことではなく、日々日常のことなのです。いつ、どこに出かけて行ってもいい、誰とでも気楽に会って語り、そして沢山の人との出会いこそがネットワークを作るための最良の手段であり、生まれてから死ぬまでの間、チャンスがあれば、どこへでも行って子供をつくり、どこで奥さんをもらってもいい、ある意味での自由奔放さがあると思うのです。例えば、イエメンのアデンやムカッラーなどで、マレー系の奥さんを連れたアラブ人と出会いました。インドネシアのアチェやシンガポールとアデンとの間はインド洋を越えて5000キロも6000キロも離れていますが、そこには何の違和感も距離感もないのです。飯塚◦ドバイかどこかで先生に伺ったと思うのですが、ダウの出入港を記録したダウ・ポートの帳簿には、今だにダウの船籍と乗員の国籍についてアラブ、アジャム、インド、アフリカの4つの分類しかないのですか。家島◦そうなのです。とくに私が調査をおこなっていた1980年代までのことですが、ダウの出入港記録、いわゆるダウ・レコードはダウの活動する海域のそれぞれの港に残されています。ダウが入港すると、その船長はダウ・オフィスに出頭し、自分の名前とダウの船名、出港地、途中の寄港地、乗員数、おもな積み荷、出港予定日と次の寄港地、最終港などをオフィサーの前で記入するのです。飯塚さんがおっしゃったように、ダウ・レコードには4つの分類しかない。アフリカは東アフリカ海岸、アラブとは紅海周辺のイエメン、スーダン、サウジアラビア、ペルシア湾岸のオマーン、ドバイ、カタール、クウェートなどがそこに含まれます。一方、アジャムとはイランのことです。イランの主要なダウ・ポートはホラムシャフル、ブーシェフル、コング、バンダレ・アッバースなど。インドはヒンディーとだけあって、パキスタンとインドの区別はなく、カラチ、グワーダルやインド・グジャラート地方のマンドヴィ、ジャームナガル、ポルバンダル、ムンバイ、マンガロールなどですね。この4分類はダウの船型、大きさ、積み荷の種類などの違いとも深く関連しています。 しかし、1980年以降になると、次第に近代国民国家による国別の分類に統一されるようになります。なお、船長や船員たちは、船員カードのような身分証明書を所持していますが、パスポートは持っていません。毎年やって来る船長や船員の顔を見れば、誰だかすぐに識別できるわけですからね。飯塚◦今では港はすっかり整備されてしまって、ダウもきちんと港に入っていますが、もともとはアラブ首長国連邦のフジャイラで見たイランのダウのように、砂浜にそのまま上がっていましたよね。家島◦そうです。ドバイの場合ですと、もちろん税関の事務所はありますが、ドバイ・クリークの岸辺に横付けされたダウの積荷はそのまま道路に放置されたり、道路脇に積んであった荷物が直接ダウに積み込まれており、その間を仕切る柵や金網のようなものは何もないのです。飯塚◦先生はホテルの窓から、ずっとその様子を観察しておられましたね。家島◦そう、ずっと見ていました。あのような光景を見ると、やはり海の世界だなと思いますよね。今、日本でそのようなことをやったら、密輸とか密入国とか言われますよ。3イブン・バットゥータ『大旅行記』の邦訳飯塚◦先生は、イブン・バットゥータの『大旅行記』を邦訳されている時に、各地の博物館に行かれると、土地ごとに食器や家具などの日用品の名称は独特で違いがあるからと、盛んにメモされておられましたでしょう。あれは、やはり翻訳をなさる際に辞書では分からないようなものがあったからですか。
元のページ ../index.html#27