24FIELDPLUS 2014 07 no.12モルディブ諸島マレーの波止場で(1980年1月末)。ケニアのラム島沖を帆走中のラム・ジャハーズィーと曳き舟(ホーリー)(1977年2月末)。パキスタンのカラチ・ダウポートで建造中のダウ(1977年3月)。南インドのコロマンデル海岸で、筏舟(カットマラム)(1980年1月)。スリランカ南部のベントータ海岸で、縫合型ダウ・パルワの漁船(1980年3月)。2インド洋海域史の研究飯塚◦次に、先生ご自身のフィールドワークについて少しお伺いしたいのですが。家島◦私は、狭い地域枠とか国家・国境を超えたところに成立するイスラーム世界のネットワーク構造とか文化交流圏の問題に関心を持ち、おもにアラビア語の史料を使って研究していました。そして、1969–71年度の2年間、AA研の「助手等の未開発言語修得のための現地投入」の予算枠で、初めてアラブ諸国に滞在する機会を得ました。 70年の春、南イラクのバスラという港町を訪れた時、チグリス川とユーフラテス川が合流してペルシア湾に注ぐ河口近くのシャッタル・アラブ川の川面に、木造型のダウ帆船が20–30艘の大船団で停泊している光景と出会ったのです。大型タンカーやコンテナ船が往き来するペルシア湾に、何故、このようなプリミティブな帆船が今もなお航海と貿易活動を続けているのかと大変不思議に思い、私自身がまるで1000年以上も昔のシンドバードの世界に飛び込んだような錯覚に陥ったのです。そこで早速、波止場近くで休憩していたダウの船員たちに、ダウはどこから来たのか、積荷は何かなど、簡単な質問をしてみると、彼らはパキスタンのグワーダル、カラチや、インドのマンドヴィ、ポルバンダル、ムンバイなどから出港したこと、胡椒、生姜、紅茶、砂糖や米などを運び、復路の航海ではバスラ産のナツメ椰子の果
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