FIELD PLUS No.12
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23FIELDPLUS 2014 07 no.12視点から歴史を総合的に組み立て、同時に日本との比較を重視するということです。それに関連して、民俗学者の宮本常一さんにも参加をお願いして、宮本流のフィールドワークの手法を学ぶ機会としました。  もう1つは、当時の民族学におけるフィールドワークではミクロな世界を対象とすることが一般的であったかと思いますが、歴史学のフィールドワークでは常に記録史料の研究で裏付けされた知識をもとに、トランス・リージョナルに広域・関連・比較・相互依存などの視点を重視することです。つまり、歴史学での国民国家を前提とした一国史の枠組みとか、定住や国境のうえに構築されてきた既存の歴史認識および社会像を打破することをフィールドワークを通じて目指すということですね。飯塚◦家島先生も、戦後から続くマルクス主義的な歴史学の潮流がまだまだ強い頃に、「歴史に法則などありはしない」というお立場で、ご自身のお仕事を現場から積み上げていかれるのは大変だったのではないでしょうか。家島◦私の場合、フィールドワークをおこなう前提として、フィールドと同時並行で、関連する記録史料の精査・研究を進めるように心がけました。フィールドワークと文献研究とは車の両輪のようなものですね。書かれた史料・資料をどのように読み、解き、そして語るかという研究のプロセスは、フィールドでの研究対象をどのように選択し、どのように見て分析し、そして語るかということと同じではないかと思います。 歴史学の場合、現在の自分と過去の記録が書かれた時代との間の時間差や空間的隔たりをどのように接近させ、対話させるかということが必要になりますが、その場合、歴史の現場に自らの身を置いて、時にそこで政治的混乱に巻き込まれたり、病気に罹ったりするなどの苦労を重ねながら、また素晴らしい風景を見て感動したり、土地の空気を感じたり、時にまた思わぬ人との偶然の出会いがあったりもする。そうした中で、新しいパラダイムを考える。そして再び、記録史料の内容の一つひとつにたち戻って考える、解く、語るといったことの繰り返しですね。 それに加えて、人や社会・政治・経済が激しく動くような時代の節目には、常に主舞台となるような場、歴史上の要地があるのではないかと思いますが、例えばバルカン半島、今のクリミア半島とか、レバノンやシリア、イラク、チュニジアなどですが、そうした歴史が複雑に交錯する接点の現場に出かけて行き、そこの自然地理・生態系の特徴とか、重層した民族構成や人々の考え方についてフィールド体験をする。そのことによって、実際に記録史料を読む際のヒントを得ることも一つの重要なアプローチの仕方ではないかということです。 フィールド学、現地学を重視するというのは三木先生や上岡弘二さんが常日頃から主張されていたことですが、それに関連した三木先生のユニークな方法は、海外での研究においては、隊員たちがいつも同じフィールドで行動し、同じテーマについて分担調査するという従来のスタイルを改めて、隊員それぞれの研究テーマや方法の独自性を最大限に尊重したということです。各自がばらばらのフィールドワークをおこなう代わりに、その調査期間中、一度は必ずエジプトのカイロとかシリアのダマスカスに集まり、それまで各自が見たこと、聞いたこと、感じたこと、調べたことを自由に語り合う機会を設けたのです。そのために、三木先生はカイロのタフリール広場に近いペンションのガーデン・シティハウスの一室で、オマル・ハイヤームという美味なエジプト産のブドウ酒を用意して、皆が集まって来るのを待っているのです。飯塚◦あのペンションは今もまだあると思います。私も1985年に初めてカイロに行った時に泊まったのは、あそこでした。家島◦そして、皆が集まると、酒を酌み交わしながら、「僕はあそこでこういう面白いものを見た」とか「これはどういう意味だろうか」など、翌朝まで賑やかに語り合うのです。そうすることで、それまで自分一人でやってきたことを考え直したり、再びフィールドに戻って補足調査したりする。私自身、そうした方式によって数多くの新しい知見を得ることができました。飯塚◦その時から数えて今年でもう40年ですね。家島◦すでに40年ですか。第1回の調査において、ある程度の成果が得られたので、その継続調査を是非ともおこないたいという強い思いから、帰国した後の1年をかけて全員が1冊づつ、調査報告書を出しました。それが Studia Culturae Islamicae(イスラム文化研究)という研究叢書であって、原則として英語もしくは現地語で書き、次の調査の時にはそれを現地に持って行き、同時に世界中の大学、研究所や図書館に発送したり、調査許可が必要となる場合、所轄官庁の人たちへの、いわば名刺代わりとして自分の本を提出しました。その後の調査、例えば1977–78年、79年、81–82年など、ほとんど毎年もしくは1年おきに調査に出かけ、そして調査報告書を書きました。Studia Culturae Islamicae はその後も、出版が継続されており、近く100冊に達すると聞いています。家島彦一やじま ひこいち / 東京外国語大学名誉教授、元AA 研2014年3月12日(水) 於AA研

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