21FIELDPLUS 2014 07 no.1221言語はトータルに 言語学を勉強すると、教える方が、音声学、音韻論、形態論、統語論、意味論のように授業を進めて行くので、言語調査は、音声学、音韻論、形態論、統語論、意味論の順にやって行くと思っている人がいる。しかしそれは間違いである。言語というのはトータルなもので、音声学も音韻論も形態論も統語論も意味論も、すべてのものが同時に出てくるのである。もし音声学をやって、それをもとに音韻論を考え、音韻論がわかってから形態論、統語論に進むという風に考えたら、言語調査は永遠に終わらない。音韻論の問題がすべて片付くなんてことはありえないのだ。言語調査はできるところからやって行くというのが正しいやり方である。3年ぐらい経って、やっとこういうのもあったのかとわかる音韻的違いもあるのである。私はテンボ語の1回目の調査では母音の長短の区別があることがわからなかった。これは1978年の2回目の調査で初めてわかったのである。 言語にもよるが、テンボ語などバンツー系の言語の場合、最初は形態論や統語論の方が、音韻論よりわかりやすいのではないかと思う。語彙調査票に沿って調査を進めると、大抵の場合、第1項目に出てくるのは「頭」である。これを、例えばいま調査しているウガンダのニョロ語では、omútwêという。これは単数形で、複数形はemítwêである。いま私は声調記号(高はアキュート・アクセント、下降調は山型アクセント、低はマークなしで表記)を付けておいたが、これはそう簡単にはわからない。2音節目が高であることはわかりやすいが、最後の音節が下降調とは判別しにくい。低と間違いやすいのである。最後の音節の声調が何であるかを決めるのは、調査の第1項目では無理である。しかし単数形omútwêと複数形emítwêとを比べて、単数形をomú-twê、そして複数形をemí-twêと区切ることは、そう難しいことではない。つまり、omú-とemí-が、それぞれ単数と複数のマーカーで、-twêのところが双方に共通する語幹だとわかるのである。単語の内部構造は、形態論の問題である。こっちの方が音韻論より、はっきりしているのである。 バンツー系の言語の単語は、比較的簡単だと思われがちだが、初心者は数ヶ月調査しても、単語1つまともに書けないということも起こりうる。全体がぼやけていて、焦点が定まらないのである。しかし調査はそれでも構わない。どんどん続けて行けばいいのである。最初は1語彙項目に1時間かかるかもしれない。しかし、そのうちにスピードも上がってくる。最初から完璧にしようと思ったら、1回目の調査では名詞しかわからなかったということになりかねない。わからなくても次に行くことが重要である。すべてのことがわからないのであるから、わかるところからわかっていけばいいのである。そしていったん語彙調査票が終わったら、見直しをすることが重要である。逆に、見直しをすることを前提に調査をするのである。2回目になれば、1回目の調査ではわからなかったこともわかってくる。私は3回見直すことも稀ではない。また語彙集の草稿ができた時、見直しにまた多くの時間を割く。思い出のインフォーマント 今まで私はうまく行った調査も、うまく行かなかった調査もあるが、アフリカで約20の言語を調査してきた。言語調査にとってインフォーマントは決定的である。自分は何も知らないのであるから、すべてはインフォーマント任せである。私は言語のインフォーマントは、理想的には、自分と同じ性の少し年上の人がいいと思う。同じ性というのは、語彙調査をやっていると、すぐ性器や性の項目が出てくるからである。男性が女性に性器について尋ねるのは気が引ける。ましてや女性の場合はなおさらであろう。しかし、私は様々な事情から、女性のインフォーマントを使ったことも何回かある。しかし、性器のことを聞いて気分を悪くしたという人は皆無であった。すぐにこちらが面白半分で聞いているのではないということを理解するからである。ただこれは“理想的には”ということで、実情に合わせて行動せざるをえない。インフォーマントは自分と同年代の方がやりやすいと思うが、言語に関する知識を考えると、多少、年がいっていた方がいいであろう。 さて、そういう中で最も忘れがたいインフォーマントは私にとって、やはり最初に調査したテンボ語のK氏である。K氏は、実は私のテンボ語の3人目のインフォーマントであるが、その後15年間付き合ったインフォーマントである。私にとって青春であったと同時に彼にとっても、私との調査は青春のすべてを捧げた全人格的なものであったに違いない。言語調査の調査者とインフォーマントというのは、単なる雇用者と被雇用者の関係を超えている。それは、いうなれば全人格的なものである。来る日も来る日も何時間も付き合っていれば、性格から家族の事情まで全てわかってくる。 現在私はウガンダ西部で調査をしている。かつての調査地、コンゴがすぐ側にあるのはわかっている。わかっているから調査しているのである。しかし現地の事情が悪くて行けない。ウガンダとコンゴの間にはルーエンゾリ山系が横たわっている。いま私は、その山並みを見上げながら、心の中で、あの向こうが私の青春だったな、とセンチメンタル・ジャーニー気分に浸っている。ウガンダ西部ブンディブギョで現地の情報を集める。ブンディブギョはルーエンゾリ山系の西側に位置しコンゴ盆地へ連なっている。ウガンダでは“忘れられた”土地である。ウガンダ・ニョロ族の王宮。テンボ族は列状集落を作っている。
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