FIELD PLUS No.12
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19FIELDPLUS 2014 07 no.1219ふりかえる3青春は“月の山”の彼方1970年代、80年代の私の言語調査梶 茂樹かじ しげき / 京都大学、元AA研アフリカ、ウガンダとコンゴの間に、古代ギリシア人に“月の山”と呼ばれたルーエンゾリ山系が聳えている。いま私はウガンダ側から遠くコンゴを望んでいる。あの山の向こうが、私の青春だったんだ、と思いつつ……。を訪ね、「今度アフリカに調査に行こうと思うんですけど……」と切り出したが、その時、文献研究が主体でフィールド調査には無縁のように思われた西田先生が、実はフィールド調査に多大な関心を持っていることを私は理解した。1976年初夏のことである。今から思うと、もう38年も前の話だ。私がお世話になった3人の先生も、今や全員鬼籍に入られた。そういう私も定年が近くなっているのだから、仕方ないと言えば仕方ない。思えば遠くに来たもんだ。コンゴでの調査 アフリカでの調査は、当時ザイールと言っていたコンゴ民主共和国の東部に住むテンボ族のもとで行った。1974年に予備調査をされた米山先生が、まだ誰も調査をしたことがないということでテンボ族を選んだのであった。米山先生と私と赤阪賢さん(当時学習院女子短期大学)が村での住み込み調査を開始した。1976年夏のことであった。2年後に末原達郎さん(当時京大農学研究科)が加わった。コンゴというのは1960年代の悲惨なコンゴ動乱を経験した国であったが、当時は国の情勢は落ちついていた。たまに南部地域でアンゴラやザンビアに逃げた反政府勢力が武力攻勢をかけてくることはあっても、後に1990年代になって、まさか自分が調査している東部地域で、そういうことが起こるとは夢にも思っていなかった。私は、もしこの地で何か問題が起こったら隣国ルワンダに逃げようと思っていた。しかし、そのルワンダでまさかの紛争が起こり、それがコンゴに飛び火し、この地域がコンゴで最も激しい戦闘地域になってしまったのである。 コンゴには様々な部族語・民族語が話されているが、それと同時に地域共通語も発達している。あこがれのフィールドワーク 私は大学で言語学を専攻した。言語学には様々な分野があるが、私が目指したのは知らない土地で知らない言語を相手に調査を行う言語学、いわゆるフィールド言語学であった。ただ私が行った大学では、そういうことをやる人は少なく、また授業でもそういう科目は皆無であった。フィールドワークに関してはむしろ人類学の方が盛んで、当時私は人類学の人たちとも付き合っていた。 私に転機が訪れたのは、大学院の博士課程に進学してからである。当時、京都大学の教養部にいらした人類学の米山俊直先生が調査隊をアフリカに出すということで私をその一員に選んでくださったのである。私は米山先生には感謝している。研究課題は、「赤道アフリカ森林地帯におけるエスノサイエンスと生態人類学の研究」というものであったが、言語学の梶君も入れたらいいと、当時、私の副指導教員であり、また隊のメンバーでもあった大橋保夫先生が米山先生に推薦してくださったのである。また主指導教員の西田龍雄先生も私のアフリカ行には快く賛成してくださった。大橋先生に連れられて恐る恐る西田先生の研究室コンゴ民主共和国ウガンダルワンダブルンディアフリカキンシャサニョロ語トーロ語ナンデ語フンデ語テンボ語ヴィラ語レガ語ルーエンゾリ山系テンボ語の調査では村でデータを集め、研究室で分析というスタイルだった。コンゴ東部の村の小学生。ノートはなく、銘々個人用黒板と蠟ろう石せきを持って通学していた。

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