FIELD PLUS No.12
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10FIELDPLUS 2014 07 no.12ニューギニア島マダン州パプアニューギニア「この人はハイランドのチンブーからだよ」「僕の奥さんはセピック地方出身だよ」といつも会う村人が実は別の村出身でそれぞれ異なる母語を話すのである。800以上の現地語が存在するパプアニューギニアの多言語状況を見てみよう。る。町でも「どこから来たのですか」と問うと、セピック地方からであったり、ハイランド地方からであったりなど、いろいろな場所から町に来ており、人々が話せると考えられる言語をあわせると、おおよそ500言語もの現地語の話者が人口3万弱の町マダンにいるそうだ。多言語な理由 パプアニューギニアは話される言語の数が世界一多いと言われている。言語データベースの「エスノローグ」の情報によると、世界の全言語の15パーセント近くがパプアニューギニアで話されている。私が調査を行っているマダン州自体は日本の九州よりも狭いエリアであるが、その州内で290もの現地語が話されている。このような多言語状況の原因は複数考えられる。3万年から5万年前から住んでいるニューギニア系民族と4千年前あるいはそれ以降に船でたどり着いたオーストロネシア系の民族が混在している、5千メートル級の山からなるハイランド地域という地理的要因、政治的・行政的に統一されていなかった点などが挙げられる。ワントク 数キロ移動すると別の言語になるような状況であり、言語学者である自分は興味のままに多くの言語を調査したくなるが、そう簡単にはいかない。それは「ワントク(Wantok)」と呼ばれるパプアニューギニアの伝統的な人パプアニューギニアの多言語状況 私はニューギニア島の北東部に位置するマダン州の州都マダンから南へ20キロほど離れた村で現地語のアメレ語の調査をしている。私は、村以外の出身の人に会うたびに「あなたの母語(トク・プレス:「村の言語」)は何ですか」と尋ねる。すると「○語です」と言える人もいるが、「もう僕の村ではみんなトクピシン(Tok Pisin)だよ」という場合もあ間関係のためである。「ワントク」はトクピシンで「ひとつの言葉」を意味し、同じ言葉を話すコミュニティ及び、その強い絆を意味する。ワントクから誰かが成功したり政治家になったりすると、その人は所属するワントクに、コネ採用や金銭的な貢献をしなければならない。これはフィールド調査者にも適用されるようで、私はアメレ語の村で認められた瞬間、そこのワントク構成員と認識され、町に出ると同じワントクの人に守ってもらえたり、村の中で自由に行動したりできる反面、他の現地語のフィールドに入るのが難しくなる。地域共通語としてのトクピシン このような多言語状況で、人々がどのように意思疎通するかを見てみよう。パプアニューギニアには3つの公用語がある。英語とヒリ・モトゥ(Hiri Motu)、そしてトクピシンである。その中でもトクピシンは英語ベースのクレオールで、町や市場、職場で他の現地語話者とのコミュニケーションで使用され、事実上の地域共通語となっている。トクピシンを用いた週刊の新聞があり、専用のラジオ局もあるのだが、パプアニューギニア政府は英語を重視しており、学校教育はすべて英語で実施される。とはいえ、トクピシンの優位は揺るがず、村で子供が生まれると、トクピシンと現地語を常時聞くことで、バイリンガルとなる。実のところ、トクピシンの習得が比較的容易である点、さらに他の現地語話者との地域共通語である点から、多くの村で現地語が話されなくなり、トクピシンに置き換わっている。例えば、私が村にいるとき、隣のノブノボ語地域から4人お客さんが来たのだが、ノブノボ語を話せるのはそのうち1人だけであった。アメレ語のこれから 私の調査地であるアメレ語の村も、伝統的なライフスタイルから携帯電話や発電機を使用する生活に変わってきた。そのため、アメレ語の中にも多くの英語やトクピシンの語彙が入ってきている。その一方で、コミュニティでは小学校前の教育でアメレ語を教えたり、伝統的な踊りを教えたりし、アメレ語とその文化を保持していこうと努力している。小学生の話者に私の下手なアメレ語を訂正してもらうとうれしく感じるのである。800以上の現地語が話されるパプアニューギニア変わりゆくアメレ語の村で野瀬昌彦のせ まさひこ / 滋賀大学、AA研共同研究員マダン州の言語マップ(キリスト教系の少数言語の国際研究組織SILのサイトより)ニューギニア島北部に位置するマダン州の言語地図である。太平洋沿岸部はオーストロネシア系言語が分布し、山間部はニューギニア系言語が分布する。ただし、これらの言語の多くがもはや話されなくなり、トクピシンに移行している。アメレ語地域の小学校の教室小学校以降の教育はすべて英語でなされる。教室内の掲示もほとんどが英語で書かれている。アメレ語の村と隣接のベル語の村の交流「チェニス・バスケット」(バスケット交換)という、お互いの村の名産や工芸品を交換し合う儀式で、隣村のベル語の人々が、アメレ語が話される村に移動してきた。

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