9FIELDPLUS 2014 07 no.12フィリピン各地で使われるようになった単語、アンティークンantiken。英語のantique「骨董品」に、他動詞語尾の en(地域により in)がついて、「~を骨董品屋に売り払う」という借用語ができた…。社会の変化、ことばの変化 世界各地の例にもれず、ここ数十年のフィリピンの村の生活の変化は著しい。茅葺屋根はトタンに代わり、プラスチックのバケツや金物が流入する。もはや転がっているだけの籐や竹で編まれたかごや背負子、ざるや小物入れは、骨董品屋に売ればお金になる。そして若者たちは、売られてゆくものの名も使い方も知らない。生活が変わると、言語もまた同等、いや、それ以上の速さで変わる。 もともと、フィリピンでは多言語使用が一般的であった。例えば、ルソン島北部ボントックのギナアン村なら、村の言語キニナアン(ギナアン語)、州都で話されるボントック語、地域共通語のイロカノ語、そして国語であるフィリピノ語が使われており、後二者はいずれも他地域の人々との交易や交渉に使われる。加えて現在では、学校で英語も使われる。複数の言語が互いに影響を与え合うのは今も昔も同じであるが、国際化やコミュニケーション媒体の変化により、近年、そのプロセスは加速している。 ことばの変化といえば、一般的には借用語が最も認識されやすく、冒頭にあげた「アンティークン」などは、まさにその例。けれども言語変化は、文法や発音など、あらゆる側面で起こる。たとえば、1960年代以来、ギナアン村で言語調査を続けているリード博士によると、この村の言語では約40年の間に子音の数が14から19に、母音は4から6に増えた(図)。いつの世、いずこの地にもあれど さて、そのリード博士、流暢に村の人々と会話をしながら、自分が話すキニナアンは村の年寄りのと同じだ、若者ことばはわからない、となげく。私は、博士の年齢で若者ことばを話していたら、その方が変ですよ、といって笑う。ニュージーランド出身のリード博士、ニュージーランドの若者言葉だってわからないことがある。変化はフィリピンの言語の専売特許ではない。が、なくなるのはものの名前だけではなく、制作過程を描写する一連の表現であり、使い方やそのコツに関するいいまわしであり、対象にまつわる一連の文化的行為の名称であり、さらには、付随する歴史的な伝承や生活の知恵とその表現…。物質文化の変化が激しい地域では、言語が失われる度合いも速度もまた大きいように、私には思われる。話者と研究者と、新メディア時代と せめて物の名前を記録しておかねばと、リード博士により写真・音声つきの電子辞書がウェブ公開されている*。「フィリピンの人々が将来、かつて存在した立派な物質文化のことを学び、誇りに思えるように。」試作版を掲載した1998年当時はまだ、村では電気も満足に使えず、携帯電話も通じなかったが、「村の子供たちもパソコンを手にする時代が必ずくるはずだからね」。それが、完成版を公開した2009年ごろから様子が変わってきた。ネットで検索して辞書の存在を知った話者たちから問い合わせが届く。フェイスブックでは、「リタンファン(ギナアンの古い呼称)人 iLitangfan」を名乗る誰かが、ギナアン語でギナアン語に関するクイズを投稿しはじめた。「答えはこちら→」。クリックするとリード博士の辞書が開く。 「時代が変わったねえ。」人々から届くギナアン語のメールには、もちろん、英語とフィリピノ語とイロカノ語とボントック語が混ざっている。加えて重複語を「2」と書くなど、メール特有の省略表現も。例の「リタンファン人」は、若い男性であることがわかった。弁護士として都市部で働いており、日常使うのはフィリピノ語、英語、イロカノ語。故郷を離れて暮らすようになったころから、ギナアンの言語や文化に関心を持つようになったという。村にはまだインターネットは通じていないから、連絡してくる人たちはみな、似たような境遇なのだろう。彼らが今後、自分たちの言語とどうつきあってゆくのか。近年関心が高まる危機言語の記録と保存活動、成功のヒントはこのあたりにあるのかもしれない。 *1998-99年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所情報資源利用研究センターのプロジェクトとして試作版作成。2006-2009年に国立民族学博物館の文化資源研究プロジェクトとして全面改訂し、公開に至る。 http://htq.minpaku.ac.jp/databases/bontok/新しいことばとコミュニケーションの時代へフィリピン・ボントックの言語変化とその担い手たち菊澤律子きくさわ りつこ / 国立民族学博物館、総合研究大学院大学、AA研共同研究員図 ギナアン村で話される言語の音韻体系の変化。1960年(上)と2004年(下)の比較(Reid 2005より引用)。米を担ぐ。40年前(上、写真:ローレンス・A・リード)。米を担ぐ。現在(右、写真:筆者)。「リタンファン人」法学部の卒業式にて(写真:ローレンス・A・リード)。ボントックフィリピンルソン島
元のページ ../index.html#11