メコン川5瀾滄県雲南省ベトナムラオス中 国おわりに なぜ山地の王は我々の視野に入ってきにくいのか。その一つの理由は、我々の思考があまりにも近代主権国家のイメージに毒されてしまっていることである。そのことが、複雑な朝貢関係のもとで階層的に整序された国際関係や、その末端に位置していたミニ国家の存在を不可視にしてしまっている。もう一つの理由は、我々の思考が大国中心の歴史語りにならされすぎていることである。ラフの山地にはジョモすなわち王が存在し続けてきたわけだが、なぜそれが我々の目に見えないかというと、史書がそれを邪魔するからである。雲南の例でいえば、中国政府の統治に服していないという事実だけをもって「反乱」と決めつける記述スタイルが、過去の清朝期から現在の共産党政権期まで一貫している。ラフにかぎらず、この地域に存在したかもしれない国家や王、あるいはそれを支えてきた当事者たちの思考を理解するには、近代国家史観や反乱史観といった色眼鏡をいったん捨てて、複眼的な視点でこの地域の国際関係を再考する必要がありそうである。ミャンマータイシャン州18世紀以降の雲南西南山地 ではそうした国際関係にラフはどのように関わってきたのだろうか。雲南西南部では伝統的に、タイ系の盆地国家の国主が自ら王を名乗り、清朝やビルマ諸王朝に朝貢を行う一方、盆地を取り巻く山地に対して名目的な宗主権を有していたが、この民族ごとに階層化された国際関係は、18世紀ごろからタイ系盆地国家の国力低下により安定を失い始める。その間隙をぬって勃興したのが山地のラフ勢力である。雲南西南ラフ山地では18世紀より、漢人僧がもちこんだ大乗仏教が広まっている。僧侶たちはラフのあいだで仏の化身ならびに至高神グシャの化身とみなされ、そのカリスマ的なリーダーシップのもとで人々を組織化していった。その結果として、雲南省のメコン川西岸地域では18世紀末以降、仏房を拠点として僧侶に率いられたラフたちが自立化し始める。この仏房連合体政権は「五ご仏ぶつ」と呼ばれ、そうしたラフの自立化傾向は19世紀後半まで続く。 1880年代にビルマ全土が英領化すると、英領ビルマとの国境の明確化を迫られた清朝政府はラフ地区の討伐を行い、国境画定交渉に先立って駆け込み的に直接統治のアリバイ作りを始める。こうして近代的な国境線が引き直された国際関係の中に、もはやラフの居場所はなかった。この一連の措置を不服とするラフの人たちは、至高神グシャの再臨を唱える千年王国的な指導者のもとで幾度も清朝に対し蜂起を試みてきたが、それが鎮圧されるたびに不満分子はミャンマー側、さらにはタイ側へと安住の地を求めて移住していった。そしてこの至高神グシャへの待望は、移住先の東南アジア各国にも持ち込まれることになる。ラフの王たち 18世紀末以降に雲南西南部各地に誕生したラフの半独立勢力は、その多くがラフ語でジョモと呼ばれている。18世紀末の雲南で略奪団を率いて清朝に抵抗したチャナは、ラフの自立化のさきがけをなす人物であり、彼は意味しうる。つまりラフのいう国や王というのは、この地の国際関係の歴史に対応して非常に柔軟な幅をもっているのである。現在でも歌謡の中で王すなわちジョモとして言及されている。またさきに述べた「五仏」体制においては、仏(=至高神グシャ)の化身としての僧が「仏ジョモ(フジョモ)」と呼ばれていた。また19世紀後半の双そう江こうを拠点に、清朝の干渉を拒否し続けたラフの最大勢力の首領は「若末」と呼ばれるがこれもジョモの当て字である。同時期に清朝は、この若末を牽制すべく周辺の小領主に下級土ど司しの称号を付与している。そうした下級土司もまた、自ら王やジョモを称していた。このように、ラフの人々からみれば、近年まで自分たちの山地を統治する王(ジョモ)がいたというのはまぎれもなく事実なのである。それどころか、20世紀になって中国、ビルマ、タイ各地で続発するラフの千年王国運動に際しては、至高神グシャの化身を名乗る指導者たちがジョモと呼ばれている。ラフの王は、ラフ山地が近代国家に分割され終わった後も、今に至るまで断続的に王を輩出し続けている。山地民が王や国をもたない民族だと決めつけるのは早計である。ただ単に、それらが我々の視野に入りにくいだけなのかもしれないということを、ラフの事例は教えてくれる。カメラの前で恥ずかしそうな顔をする瀾滄県南段郷のラフの女の子。現在、雲南西南の山地には棚田が多く見られる。ここ、瀾滄県の上じょう允いん鎮は、18世紀末以降、ラフ政権の中心といえる仏房が置かれた地域であるが、当時は焼畑農耕を営んでいたので、風景は異なっていたと思われる。山に登る牛のキャラバン隊である。木製の鞍に米を積んだ袋二つを牛の背中に載せる。昔から、険しい山が多い雲南西南では、物資を運搬するのに、牛、ロバと馬が使役されてきたが、瀾滄県では自動車道がないところではその姿が現在も見られる。
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