フィールドプラス no.11
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山地民は歴史をもたない民族だとしばしば言われるが、それは我々の偏見のせいなのかもしれない。我々が見落としがちな山地民の国家、王、およびそれらをめぐる土着の概念について、ラフの事例から考える。東主仏堂(雲南省瀾らん滄そう県)。19世紀に雲南ラフ山地で栄えた「五仏」の一角を構成し、「仏ジョモ」の拠点として知られる。19世紀末の清朝の直接統治導入に反対するラフ仏教徒の反乱に際してはその中心となり、反乱の鎮圧に伴って仏堂の勢力もまた大きな打撃を受けた。瀾滄県南なん段だん郷のラフの村の中心に立つ杭である。これは漢語で寨さい心しんといい、村びとはここに集まり、村の神を祭る行事を行う。寨心はラフ独特なものではなく、盆地のタイ系村落にもある。ラフの人々が宗教儀式に使用する魚の模型である。瀾滄県の南段郷には漢語で祭さい堂どうと呼ばれる宗教施設があり、後ろに見える「鳥居」のような門は祭堂とセットになっている。はじめに ラフというのは中国雲南省西南を原郷とし、ミャンマー・シャン州やタイ国北部山地などに居住するチベット・ビルマ語系の山地民である。山地民のあいだでは、自分たちがかつて国や王をもっていたという伝承がしばしば語られる。この点に関しラフも例外ではない。ラフの神話伝説を聞いていると、ラフはもともとは自分たちの国や王をもっていたが、それが漢民族やタイ系民族の奸計によりだまし取られてしまった、というモチーフが頻繁に登場する。そうしたかつての亡国の結果として、ラフは征服者たちに追われ、現在のように雲南西南からミャンマー、タイへと離散する運命になったという物語が続くわけである。この種の説明は単なる負け惜しみのようにも聞こえる。しかしそのすべてが作り話だと断国と王を失った話 ラフの人々が語るかつての国や王については、明らかに実在が疑われるものも多く認められる。たとえば、天地創造にあたり至高神グシャがラフを全世界の王に任じたが、ラフの王が誤ってシャン(タイ系民族のひとつ)の娘の胸に触れてしまい、その賠償として神から与えられた王の印章を失ってしまったとか、あるいは、ラフが「北京南京」の支配者で全世界に号令をかけていたが漢人の口琴の音色に騙されたラフの女たちが、言われるままにラフの男たちが使う弩いしゆみのひきがねを渡してしまい、後日攻め込んできた漢人たちに敗れて「北京南京」の支配者の地位から転落したとかの物語などがそれにあたる。これらはどう考えても荒唐無稽な、中原の繁栄をねたんでひねり出した屁理屈にしか聞こえないものであるが、ラフにとっての国や王を理解するには、ほかの事例にも目を向ける必要がある。その前にまず、そもそも国や王という言葉がラフにとってどのような意味をもつのかを見てみたい。ラフ語の「国」と「王」 ラフの人々がかつての自分たちの国や王について語る時に使われる言葉がムミ(国の意)とジョモ(王の意)である。ただしここで急いでつけ加えなければならないのは、これが必ずしも近代国際関係でいう主権国家やそこでの世襲君主(ないし国家元首)のみを意味しているわけではないという点である。 この地域の前近代国際関係を確認しておくと、国家や王というのは規模の大小に応じて階層的に整序されているのが常であった。大国にはそれに服属する国や王があり、さらにそれらの国や王に服属するより小さな国や王があり、という具合である。 実際にムミやジョモという言葉が意味する範囲はいわゆる国家や王よりも少し広い。ムミは現在の独立主権国家だけではなく、上級権力に服属していた中小規模の地方国や、今でいえば国家の下位に属する地方行政単位をも含意しうる。ジョモも同様に、国家元首のみならず服属国の国主や地方政府の長などを定するのも極論である。ではラフにとって国や王とはどのようなものだったのか。4山地民ラフから見た東南アジアの王と国家 片岡 樹かたおか たつき / 京都大学、AA研共同研究員

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