「タイ文化圏」この特集は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題「タイ文化圏における山地民の歴史的研究」の成果の一部です。 瑞麗(ルイリー) ナムカムラシオ 麗江(リージャン) 大理(ターリー) 昆明(クンミン)ルアンナムタールアンパバン3FIELDPLUS 2014 01 no.11責任編集 クリスチャン・ダニエルス 中国西南部から東南アジア大陸部山地まで、人々は山地と盆地(平地)という異なる生態空間において棲み分けしている。これまで研究者は、ここの歴史と文化を、「国家」をもつ盆地の定住民社会と、「国家」をもたない移動性の高い山地民社会という二項対立的概念で説明してきた。20世紀以降、山地民が、盆地民を主とする「一般の国民」から区別され、文化的に劣り、近代国家建設を妨げることがあっても、貢献することがなかったという蔑視的色彩の濃いまなざしで見られる傾向が強まった。山地民という呼び名には、一般の国民との優劣や上下関係が暗示されるのである。 2009年、上記の馴染みの「山地民」像を払拭しようとする新学説が発表された。山地民の社会と文化、彼らがいとなむ焼畑さえもが国家の干渉を回避して、その治下に入るのを予防する目的で編み出されたとする学説である。山地民の立場から論を立てる刺激的な新学説ではあるが、山地と盆地の関係を「対立」として特色づけるところには大きな問題がある。近年、若手研究者が綿密なフィールドワークをとおして、相互依存や協同性など共存的要素の重要性を指摘して、新学説とは全く異なる山地民像を提示している。 この特集では個別事例をとおして、山地と盆地の共生関係が描かれている。読者には、山地民の歴史と文化をめぐる複雑性に対する認識を深めるとともに、山地民が誇る豊かな伝統を知って頂きたい。事例のうち三つは、タイ系民族が盆地で政権をいとなみ、山地民を治下におさめたタイ文化圏と呼ばれる地域を対象にしている。自己の国家の保有を大望した山地民、タイ系民族の政権建設に積極的に参与した山地民、さらに僧侶や尼として盆地のタイ族の寺院に奉仕する山地民がいることが紹介されている。もう一つの事例では、寒い高原に居住するナシ族が漢民族やチベット人と接触しながら築いた独自の文化を概観する。山地民が歩んできた歴史の理解にいささかでも寄与できることを願う次第である。ジア山地民の世界
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