インドビハール州ジャールカンド州オディシャ州シャンティニケタン30年ほど前の韓国で、山口は黄海道系の巫俗儀礼をスケッチした。将軍・神将から人の寿命と運勢と司る神々まで、様々な神霊を自分の体に憑依させた女性シャーマン(マンシン)をどう描いたのか、スケッチを見てみよう。北朝鮮韓国ニューデリームンバイ図1⃝丁鶴鳳のチャクトゥ・タギ。両手に将軍刀を持つ。(以下、図はすべて山口昌男画、写真はすべて筆者撮影)26平壌(ピョンヤン)スケッチが描かれた背景 韓国での2~3日間程度の儀礼の調査で、山口は少なくとも100枚近いスケッチを描いている。描きかけや粗いデッサンも相コルカタ当数含まれるが、ざっと輪郭を描いただけ西ベンガル州のものでも簡潔に特徴を捉えていて、専門家が見れば何であるのかがおおむねわかる。のみならず多くのスケッチには、見る者が儀礼のある瞬間を感覚的に理解できるような何かが描き込まれているように思う。何枚かを選び、私の調査が及んだ範囲図2⃝チノグィで祖先を招く祖上コリ。左手前のつば広の帽子を被った後ろ姿の男性は依頼者か。右奥で杖鼓を叩くのは禹玉珠と組んでいた女性楽師杜門洞ハルモニ。黄海南・北道ソウル仁川(インチョン)写真1⃝神刀(中央)と将軍刀(右)。(韓国シャーマニズム博物館蔵)で解説してみよう。 山口が韓国で見た儀礼は韓国語でクッとよばれる巫俗儀礼で、専門的な職能者が様々な神霊を儀礼の場に招き、歌舞音曲や酒食でもてなし、依頼者の厄を取り除いたり福を招いたりする。山口自身のエッセイと調査団を案内した板谷徹先生のお話を総合すれば、山口は1984年10月にソウルで禹玉珠(1920~93年)という職能者の家に通い、仁川でその弟子にあたる丁鶴鳳(1931年生)のクッを見た。この2人の女性は朝鮮半島中西部、今は北朝鮮の領域内に含まれる黄海道(黄海南・北道)の出身で、ここの巫俗では職能者自身が神霊を自分の身体に憑依させる。すなわち2人は女性シャーマンで、黄海道ではマンシンと呼ばれる。 韓国国立民俗博物館を退官後、自宅を改ウ・オクチュチョン・ハクポン写真2⃝チャクトゥ。(韓国シャーマニズム博物館蔵)装して2013年5月に国内外の巫俗関連の収集品を展示する博物館を開いた梁鍾承先生は、1976年に禹玉珠に弟子入りし、山口の調査の2年前まで巫俗儀礼を学んでいた。このシャーマニズム博物館に彼を訪ね、山口のスケッチを1枚ずつ見ていただいたところ、丁鶴鳳自身(図1など)や彼女の自宅の祭壇・庭を描いたものが相当数含まれており、それとは別に禹玉珠や彼女と組んでいた女性楽師(図2など)を描いたものもあることがわかった。特定の地域に限っても巫俗儀礼にはいくつもの種類があるが、このスケッチには、マンシンが春と秋に自分の守護神等を饗応するために行うマジクッと、死霊をなだめてあの世に送るチノグィ(図2など)を描いたものが混じり合っているようだ。ひとつの巫儀はいくつものコリ(巨里)――マンシンが特定怪力マンシンと山口昌男──黄海道系の巫俗儀礼(韓国)本田 洋ほんだ ひろし / 東京大学
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