フィールドプラス no.11
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下のスケッチは、ヌアプウ(Nua Pu’u)という村の儀礼家屋だと推測される。儀礼屋根を葺く材料でもっとも多いのは茅であるが、樹皮や竹やトタンでつくる場合もある。この屋根は、半割にした竹を組み合わせて葺かれている。のように頻繁ではなかった。ある夜、家の前の道で車が故障し、難儀していた。「もう夜だし、泊まっていきなされ」と声を掛けた。その車の乗客が山口さんだった。聞けば、日本から文化を調べにきたとのこと。「ここら辺で、調べたらどうですか」というハニスさんの誘いに応じて、山口さんの調査は始まった。 私が、中川敏さんと一緒に、リオ語圏の西側のエンデ語圏のズパドリ村で調査を始めたのは、1979年8月。インドネシアへの出発前に、ハニスさんに渡してほしいと山口さんからお金を預かっていた。フィールドワークを始めて間もなくお金は町に住むハニスさんの親戚に手渡したが、ハニスさん本人に会う機会はなかった。翌年の8月、ズパドリの逗留先の息子の妻の父親が亡くなり、ズパドリ村の人々と一緒に嫁取姻族として、牛やら山羊やら引き連れて、リオ語圏のウルパダ集落を訪れた。通夜の席で、「何年か前にも、グチっていう日本人が来ててなー」という話を聞き、期せずして、ウルパダの東端に住むハニスさんを訪問することになった。突然の夜更けの訪問にも関わらず、ハニスさんも家族も嬉しそうに迎えてくれた。ご馳走してくれた、白菜の炒め物と目玉焼きの美味しかったこと。 それを機に、ウルパダ周辺地域を時折訪れるようになったが、私が本格的にリオ語圏でフィールドワークをしたのは、1982年から1984年にかけてのことである。や祖先儀礼祭司として話しているハニスさんは輝いている。山口さんがフィールドワークをした時の祭司たちの多くは物故者となった。がてハニスさんは、私にとっても重要な先生になった。子育てで忙しかった80年代後半から90年代後半までを除き、ほぼ毎年ハニスさんを訪れているが、彼は折に触れて、山口さんのことを懐かしそうに話す。2013年8月は、訃報を携えての訪問であった。高齢で衰えのめだつハニスさんを前に伝えあぐねていると、ハニスさんはなぜかいつもより頻繁に山口さんの思い出話を語った。意を決して訃報を伝えると、「可哀相に」と、ひとことぽっつり。 ハニスさんの思い出話は、山口さんの天真爛漫ぶりを伝えてくれる。よく酒を飲んだ、気前が良かった、坂を転げ落ちた、怒った、昔来た日本兵みたいにインドネシア語の語順がひっくり返っていたけど気にしなかった、ハニスさんをはらはらさせた……。1981年に帰国した時、山口さんにお会いし、ハニスさんたちの様子を伝えた。「ハニスさんの二人の奥さん、可愛いでしょ。一人くれって言ったんだけどね、くれないんだ」と言い、おちゃめに笑った。山口さんも、フローレスでのフィールドワークをとても気に入っていたようだ。そのデータを使って、リズムあふれる著作や講演をいくつもものしている。それらは、通常の意味で民族誌ではないが、山口文化論全体をより魅力的にしている。哲学、思想、渡されたバトン 山口さんの哲学は、明快だ。知は愉しくなければならない。知は、閉ざされた組織によって育まれるのではなく、自由なネットワークを通じて相互に刺激し合わなければならない。そのような知は、閉塞した状況を解放する。ヨーロッパ中世のワンダリング・スカラー(放浪する学者)や戦前日本の在野の知識人・趣味人のありかたに、その理想を見る。切り口は、構造論と文化記号論。王権、政治、演劇、いじめ、神話、儀礼など、分析領域は広範を極める。なかでもトリックスター論や道化論により、知のあるべき姿を隠喩的に示した。知的対象への博覧強記には感服する。瑞々しい好奇心のなせる業としかいいようがない。 では、思想―目下の世界状況/社会問題やフィールドワーク地の人たちへの人類学者/調査者の関与についての思考や姿勢―についてはどうだったのだろう。山口さんは、吉本隆明氏と本田勝一氏の批判をしているが、思想の問題に答えていない。いじめや暴力に関する彼の著作から、目下の状況を引き起こす原理を深く思索することに徹するのが研究者の使命であるという立場をとっているのがわかる。現代日本の人類学は、フィールドワーク地の人々に役だち応答することに加え、目下の世界状況へと俯瞰的な思想を発信することが必要なのではないだろうか。思想に関して山口さんが「しなかったこと」と「したこと」は、現代の人類学に関わる私たちに渡された、バトンなのではないだろうか。左の写真は、茅と竹を組み合わせて屋根を葺いた儀礼家屋。儀礼のために供儀される豚が横たえられている。この女性はこの家の主。この家の裏にある簡素な家に暮らす彼女の兄が、何くれとなく彼女のサポートをする。家の前に並ぶ祖先像は、彼が彫った。やはり「夢見」によって創ったとのこと。これらの祖先像は、山口さんがスケッチした祖先像の作風を引き継いでいる。ここ数年頻繁に訪れる海外からの観光客に、貨幣を対価として譲渡することを想定して創られているが、対価が大きいからか、「売買」とは言わないからか、譲渡はほとんど起こっていない。毎年私も年を取るけど、訪れるたびに少しずつ衰えがめだつハニスさん。孫たちはハニスさんが大好き。古い歌やとんち話をねだる。そのなかには、日本軍に教わった歌も混じる。25

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