インド北朝鮮韓国ビハール州ジャールカンド州オディシャ州西ベンガル州山口昌男は1995年12月にタゴール国際大学の日本学院開設の記念講義のため、同地に1ヵ月滞在した際に、大学の生活やサンタル人のスケッチを残している。 タゴール国際大学(ヴィシュワバーラティ)は、ノーベル文学賞受賞者のラビンドラナート・タゴールがインドの西ベンガル州シャンティニケタンに創立した大学で、文学、舞踊、音楽、美術を総合した「タゴール芸術」を学ぶことにその特色がある。近代のインド的通念から見れば、「知的」な文学と「肉体的営為」である舞踊や音楽とは、異なる次元に属する存在である。これらを総合しようとするタゴールの精神は、「絵と学問という区別も人為的なものに過ぎない」(『踊る大地球』「あとがき」)とする山口氏に通じるものがある。その意味で、シャンティニケタンこそが彼がインドで訪れるべき場所であった。 ここに私たちが目にしているのは、山口氏がシャンティニケタンに滞在したときのスケッチである。氏の滞在は学術調査を目的としたものではなかったが、それでも彼は描きづづける。そこに描かれたものは、一見すれば、風景や人物だが、彼にとって「描く」行為とは、風物の向こうにある「文化」を手でなぞることによって形象化し、「自らの肉体に取り込んで感得する」行為であったのだろう。 それは、言語学者が目に見えない「ことば」を記述する行為に似ている。未知の言語にはどんな母音や子音がいくつあり、それらをどう組み合わせてことばにするのかを、言語学者は調査する。正確に聞き取るためにはもちろん音声学の訓練を受けるのだが、取り立てて鋭敏な耳が必要なわけではない。聞き取りの際に耳と同様重要なのは、実は口である。聞き取った発音を自らの口の動きを通じて再現し、それを自分の耳でモニタリングして追体験することにより、初めて未知の言語の発音を「体得する」ことができる。 つまり、人類学者山口昌男のスケッチと言語学者の聞き取りには、異文化をいったん自分の肉体に取り込むことによって理解シャンティニケタンシャンティニケタンの風景。タゴール国際大学(ヴィシュワバーラティ):ノーベル文学賞受賞者のタゴールが創立した大学で、文学、舞踊、音楽、美術を総合したタゴール芸術を学ぶ留学生も多い。シタール奏者の写真とスケッチが一致している例。(写真および画はすべて山口昌男) するという共通点があるのだ。 シャンティニケタンはまた、サンタル人という先住部族の土地である。彼らは西ベンガル州だけでなく、周囲のビハール州、ジャールカンド州、オディシャ(オリッサ)州にまたがって住んでいる。その人口は約600万人であり、インド最大の「少数民族」!である。山口氏は後年のインタビュー黄海南・でおよそ次のように語っている。北道 「サンタル人は19世紀まで文字を持ってソウルいなかった。[…]文字を作るとろくなこ仁川とはない。[…]この部族は歴史に入るこ(インチョン)とを拒否したんです。[…]サンタル族は、記憶は身体に埋め込めという考え方を持っているのね。字にして管理することはない。だいたい重要なこと、楽しいこと、基本的な知識は、歌と踊りの中に入っているんですよ」(『踊る大地球』pp.48-50)。 山口氏は自らの考えをサンタル人の考えに重ねあわせているように見える。重要なことは文字ではなく口承とするのはインド全体の文化的伝統である。山口氏は、それを「文字情報よりも音声情報が重要」と客体化して理解するのでなく、「歌う、踊る」そして「描く、語る」という主体的行為として理解すべきだと言いたかったのではないか。 その後サンタル人を中心とするジャールカンド州が設置されるなど、社会状況が変化するとともに、文字に対するサンタル人の姿勢も大きく変化した。インドは原則として「民族=(文字を持つ)言語」ごとに分けられた言語州を政治単位とするため、サンタル人は州ごとにベンガル文字、デーヴァナーガリー文字、オリヤー文字、さらにキリスト教宣教師の考案したラテン文字で書かれることになり、結果として4種の文字体系が民族を分断してきた。加えて20世紀にラグナート・ムルムというサンタル人が考案した(本人は「啓示を受けた」と述べている)独自の「オル・チキ」(「書き文字」という意味)が現れた。地道な教育、出版や政治運動を通じてその普及が進み、オル・チキは今やサンタル人の統合の象徴となった。寡黙と和を重んじてあからさまな対立を避ける、サンタル人らしい知恵である。ニューデリーコルカタムンバイ平壌(ピョンヤン)23山口昌男の出会ったインド峰岸真琴みねぎし まこと/ AA研山口昌男のスケッチによせて
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