フィールドプラス no.11
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ラヴィアの構成諸民族の一つとして、やはりスラヴ系の「マケドニア人」という民族が新たに創り出され、彼らの国民国家として「マケドニア共和国」が設置されたことだろう。このため、「マケドニア問題」も、セルビアの領土拡張としてではなく、「マケドニア人」の民族自決の動きと位置付け直され、ギリシア領「マケドニア」の合併を求めるものに変容していく。 この構図は、20世紀末、冷戦終結に前後してユーゴスラヴィアが解体した後も、形を変えて存続した。名実共に独立した主権国家となったマケドニア共和国に対し、ギリシアは、「マケドニア」とは自国に固有の名称だとして強硬に反撥した。その結果、「旧ユーゴスラヴィアのマケドニア共和国」、略してFYROMという名称が、この国を指す用語として国際的にも今なお広く用いられている。 テサロニキはこの間、ギリシア領たる「マケドニア」の中心都市と見做された。テサロニキには「マケドニア・トラキア省」の庁舎が置かれ、筆者が調査に出かける現地の研究機関も、そのいくつかは、「マケドニア研究協会」や「マケドニア闘争博物館」などという名を冠している。つまりこの街は、行政的にも学問的にも、「マケテサロニキの象徴、「白い塔」。オスマン時代の牢獄である。ヨーロッパの周縁で 2012年、テサロニキの街は「トルコ支配」からの「解放」100周年を祝った。だが今や、この街の沈滞ぶりは一目瞭然である。2010年に表面化した財政危機の下、事実上その経済的自律性を喪失して、その命運をEUに左右されるギリシアが、しばしば「ヨーロッパのお荷物」と見做されるのも故なきことではない。 だがそれでもなお、活況に沸く隣国トルコがいつまで経ってもEUに入れないのに引き換え、ギリシアは、今も変わらず「東方」に対する「ヨーロッパ」の最前線と見做され続けている。古典古代の「ギリシア・ローマ」を自らの起源と位置付ける西欧諸国にとって、現在のギリシアもやはり「ヨーロッパ」の一部でなければならない。それはギリシアにとっても有益なことであり、人口も天然資源も少ないこの国にとって、このような「西欧文明揺籃の地」の像は貴重な政治資源となる。 従って、上述の「マケドニア問題」ドニア」がギリシア固有の名称であり、それがギリシアの一部であることを示す中心地として機能しているのである。も、単なる領土争いの次元に留まるものではない。アレクサンドロスやアリストテレスを擁する古代マケドニアが「西欧文明揺籃の地」としての「ギリシア」の一部である以上、現代のマケドニアも、当然に「ギリシア」が自らの一部分として専有するものでなければならない。こうした「伝統」の捏造は、現代ギリシアが国民国家として地歩を築くために必須の作業だったが、同時に、「ギリシア・ローマ」を世界史上に特権化する西欧中心主義とも正確に連動するものだった。 しかし元来、「ギリシア・ローマ」は、何ら西欧やギリシア国家の専有物ではない。例えばオスマン帝国もまた、イスラームやビザンツを介して、ギリシア古典やローマ帝国の遺産を近世、近代に引き継いだ存在であった。だが、近代西欧文明の優越を説くためにも、また、その「軛」の下に呻吟したとされる「ギリシア」の連続性を示すためにも、オスマン帝国はあくまで、「野蛮」で「狂信的」な「アジア的国家」に矮小化される必要があった。従って、テサロニキの近い過去、即ちオスマン帝国時代は、古典古代という遠い過去が黄金時代として称揚されるのに反比例して、その陰で黙殺され等閑視される存在となった。テサロニキの夕暮れ。 とはいえ、この種の神話がいつまでも変わらず再構築され続けている訳でもない。近年、ギリシアの学界では、排他的な民族史学からの解放が顕著であり、オスマン帝国時代の再検討が進んでいる。また、最近は、かつてオスマン帝国時代に父祖が住んでいた故地を実見すべく、少なからぬトルコ人がギリシア領マケドニアを訪れるが、その際、現代トルコ建国の父、アタテュルクの生地でもあるテサロニキは、格好の「巡礼」先となっている。20世紀に引かれた国境線にも拘らず、エーゲ海の両岸、即ちトルコ・ギリシアの両国が覆う地域は、実際には古代以来、人や物が絶えず互いに流通し、一体的な生活圏を成していたのであって、19世紀的な西欧中心主義を信奉するのでない限り、この両者を「ヨーロッパ」と「アジア」とに分割すべき必然性は薄いように思われる。その意味でもこの地域は、「ヨーロッパ」とは何かを考えるためにも、更には西欧中心主義からの解放を模索するためにも、好適なフィールドを形成している。そのようなことを考えながら筆者は、イスタンブルの文書館で、あるいはテサロニキの図書館で、20世紀のオスマン帝国の史料を読んでいるのである。テサロニキの街中。「マケドニアはギリシアである」という標語。21

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