ばした独特の姿勢で座り、歌い出す。森の奥から、不思議な音声が聞こえてくる。精霊の来訪だ。森の中には様々な種類の精霊が住んでおり、村ごとに違う精霊が訪れる。 精霊は、もちろん彼らが自ら想像し創りだしたものだ。男性たちが女性を排除した儀礼集団を営み、森の中で衣装に着替えて精霊を演じる。彼らは自ら紡ぎ出した音楽で、自ら想像した精霊とともに歌い踊る。精霊は独自の意思を持った不思議な生命体として演じられる。とりわけ、喜びを回転で表わすジェンギやリンボなどといった精霊の姿から私が連想したのは、宇宙人やUFOである。歌と踊りのライブ感覚を捉える これら精霊たちの踊りと音楽との関係はいかなるものなのだろうか。彼らの音楽に楽譜はない。式次第もない。全ての展開はその場その場の「ノリ」で決められていく。女性たちが素晴らしい合唱を成立させ、気まぐれな精霊を喜ばすことがポイントなのだ。 このライブ感覚をいかにして把握するのか。私は素朴な方法を取った。ヘッドライトでフィールドノートを照らし眠気と闘いながら、とにかく起こったことを書きとめていく。ヘッドライトを消し、頭を上げ、再びフィールドで起こることに目を凝らす。女性たちが歌い出す。歌が途切れておしゃべりになる。再び歌い出す。また止まる。歌が盛り上がってきて、「合唱らしく」なっていく。これに応じて精霊が現れる。しかし、精霊は初めは聞いているだけでアクションを起こすことなく森の闇の中に消えていく。やがて再び現れた精霊は、気分が乗ったのか激しく踊り出す。精霊は、喜びを動作で表現する。体を揺らしたり回転させたり、精霊によっていろいろである。 起こっていることは単純だが、経過はケースによって様々だ。次に何が起こるかは分からない。意外性が彼らの「儀礼」の神髄である。精霊の動線と、合唱の継起によってこの経過を図示することを試みた(右下図)。 このような作業を繰り返すことで、彼らの音楽にあっては、踊りが合唱に劣らず焦点となっていることが分かってくる。踊りと歌は相互に刺激し合っている。合唱が盛り上がれば、踊り手の気分も盛り上がる。踊り手の気分は、超自然的存在の気分という設定になっており、それはそのまま超自然的世界からのメッセージとして受け止められる。このような形で、彼らの音楽と宗教は深く踊りと結びついている。彼らの音楽は、自分たちが直接踊るためのものではない。精霊を喜ばせ、踊ってもらうためのものなのだ。ここで私に面白く思われるのは、彼らが歌いかけている対象が、あくまで彼らの心の中から生み出されてきたものだということだ。踊りを精霊に託す 人と精霊の間に私が感じるこの面白さは、彼らにとっての「作曲」のあり方によく表れているように思う。彼らは新しい歌を夢の中で聞くという。「ベ」のために次々に新しい歌が作曲され、流行歌のように遠い集落から伝来もするが、彼らは、全ての歌は誰かが夢の中で精霊から聞かされたものだと主張する。夢の中で精霊が歌って聞かせてくれたものを、朝思い出し、人々に教えて「ベ」を行うというのだ。 作曲については様々な語りが聞かれたが、私が最初に聞いて精霊の世界に心を惹かれるきっかけとなったのが「ニョモ」という曲の由来だ。ある男性が、ムコ入りした集落で知らない人に取り巻かれ、「ニョモ」という口を利けない状態に陥った。ある晩、彼が集落の人々とともに森の奥にキャンプした時、夢の中に精霊が現れ、歌い出し「これを仲間に教えて一緒に歌え」と命じた。これにより、この男性はニョモの状態を脱したというのである。森と人間の繋がりが「精霊」として具現化し、歌と踊りを通して身体と集団に刻み込まれてゆく世界が見えてくる。 彼らは踊り手としては内気である。歌は盛んだが、集落を挙げてダンスに興じるという風景は見られない。私たちが見知っているディスコのように、フロアに出てそれぞれが踊るわけではないのだ。彼らは、踊りを、精霊を演じている男性に託している。踊り手と歌い手の関係は、バレエにおけるプロのダンサーと観客の関係に似ているかもしれない。しかし、バカの人々は観客として踊りをただ鑑賞しているのでもない。精霊の姿を追いかけながら彼らは合唱に没頭し、ともに歌と踊りの渦の中に参加して音楽の世界を構築していくのだ。ディスコのようでもバレエのようでもなく、その中間のような踊りとの付き合い方といえる。踊りという身体の営みを精霊という想像上の存在に託して、人々はポリフォニーの合唱の中に身を没入させ、精霊と人とがともに超自然の世界に遊ぶのだ(踊り手以外の男性「ベ」の観察をしたフィールドノート。家屋や村の空間を精霊がどのように動き回ったか、合唱がどう起こったか、時系列に見たことを書きとめてある。精霊の動きを、歌い手との距離に基づいて軌跡として図示している。左側の帯は合唱の継起を示す。は、踊り手の補助に回ったり、女性の歌に応援の掛け声を上げたりしている)。 彼らの歌と踊りを研究していると言うと、「あなたも踊りましたか?」と聞かれる。実は私は、彼らに混じって踊ったことは一度もない。彼らの文化では踊りは精霊のものである。部外者である私が衣装を着けて踊ることは不遜でもある。歌おうと思って練習したこともあるが、下手でとても及ばなかった。彼らの「ベ」を現象として必死で書きとめた経験こそが、私にとって、彼らと踊り歌う経験だったとも思うのだ。15FIELDPLUS 2014 01 no.11
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