リージャンチベット自治区四川省麗江瓦屋根の続く麗江の旧市街。雲南省ミャンマーラオス中国西南の高原に住むナシ族は、漢民族とチベット族といった大勢力の狭間で、独自の文化を育みながら生きてきた。その歴史と、言語や文学の一端を紹介する。中 国ベトナムトンバ文字で書かれたトンバ経典。黒龍潭公園から見る玉龍雪山。過度の開発のためか、2012年以降は池の水が涸れている。10歴史と漢民族との関わり ナシ族は、中国の西南部に暮らす人口約32万人の少数民族である。雲南省の麗リー江ジャン市を中心として、その周りの四川省やチベット自治区にも住んでいる。ナシ族が最も集中する麗江市の中心部は海抜2400m前後の高原で、空気はひんやりと澄んでいる。夏は雨季のため涼しく、8月でも長袖で過ごすことが多い。晴れた日には街から遠くないところに玉ぎょくりゅうせつざん龍雪山という雪山が見える。万年雪を頂く標高5596mの人類未踏峰である。美しい雪山を望むこの地を舞台に、ナシ族はその文化を育んできた。現在のナシ族は、典型的な山地民のイメージに当てはまるわけではないが、高原に住む彼らの文化には山地民的な要素も溶け込んでいる。 ナシ族の祖先は、かつて中国西北部に住ん言語と独特の文字 ナシ族はナシ語を話す。ナシ語はチベット・ビルマ語派に属し、漢語(いわゆる中国語)とは全く異なる言語である。しかし、ナシ族のほとんどはナシ語と漢語を話すバイリンガルでもある。漢語には様々な方言があり、雲南省では「雲南話」と呼ばれる方言が話されている。ナシ族はナシ語と地元の雲南話を話し、さらに、ある程度教育を受けた人ならば、北京の言葉を標準とする漢語の共通語も話すことができる(ただし、人によってはナシ語の訛りがかなり強いこともある)。また、常に他の民族と接しているナシ族であれば、それらの民族の言語も話せることがある。ナシ族の周りには、漢民族の他にチベット族、イ族、リス族、ペー族といった民族がおり、それぞれに独自の言語や文化を持っている。ナシ族は、常に多言語かつ多文化の環境の中に生きてきたのである。 ナシ族の名を広く世界に知らしめたもののでいた羌きょう人という遊牧民族とされるが、南下してきた羌人と土着の農耕民とが融合してナシ族が生まれたという説もある。モンゴル帝国の時代、ナシ族はその支配下に入り、首領であった麦マイ良リャンは「土ど司し」と呼ばれる世襲の役職を与えられた。続く明の時代、麦良の子孫は皇帝から「木ムー」という姓をもらい、以後、一族は「木氏」と称されるようになる。木氏は明王朝の忠実な臣下として漢民族の文化を積極的に学び、漢詩や漢文の名手となった土司もいた。しかし、一方で木氏は東チベットに領土を拡張して支配したり、チベットの宗教勢力と交流するなど、忠実な臣下の姿には収まりきらない別の顔を持っていたことも、近年の研究で明らかになってきた(山田勅之著『雲南ナシ族政権の歴史』慶友社、2011年)。明代の木氏は、中華とチベットという二つの大きな世界に、巧みに関わりながら存在した一つの政権だったのである。 清代の1723年、清朝の中央集権強化により麗江の土司は廃止され、木氏は実権を失った。以後、麗江は清朝の直接統治下に入り、漢民族の文化がナシ族の民衆に広く浸透した。住居、服装、食物から結婚や葬儀に至るまで、現在のナシ族の生活には漢民族の文化が大きな影響を与えている。ナシ族の歴史・言語・文学 雲南の高原で育まれた文化 黒澤直道くろさわ なおみち / 國學院大學、AA研共同研究員
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