フィールドプラス no.11
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ミャンマー シャン州雲南省中 国タアーン族の住職が招かれる例 少数派ではあるが、文革後にミャンマー側から住職を招いた村落もある。タイ族村では基本的にタイ族僧を招いているが、N村の寺院では居住する出家者全員がタアーン族である。N村でも大躍進・文革期に住職がミャンマー側へ逃亡したため、文革後は住職不在の状況が続いていた。しかしN村は比較的大規模な村落(約250戸)で、葬式や新築式などの儀礼の際に必要となる出家者が居住していた方がよいと村人たちは考えたため、ミャンマー側のタアーン族の村にあるO寺院から1997年に住職を招いた。彼らがO寺院から住職を招いたのは、同一教派(メンゾー派)の寺院に属するという事情もあるが、タアーン族の僧侶は戒律を厳守しており、「行いがよい」ことが大きな要因だという。また年配のタアーン僧はタイ語を流暢に話すため、説法する際にも問題ない。こうした理由から、あえてタアーン族の僧侶をミャンマー側から招請したのである。 タアーン族の出家者にとっても、中国側のタイ族の村に招かれた経緯 最初に女性修行者たちがT村を訪れたのは、1988年のことである。彼女たちは、ミャンマー側のタアーン族の村から、女性修行者の少ない中国側のタイ族の村々へ米の寄進を集めに出た。たまたまT村の仏塔境内に宿泊した際、そこに居住していた高齢のタイ族女性修行者から同居を要請された。そのため彼女たちはナムカム郡からT村の仏塔境内へ移住し、その後1996年に、仏塔に隣接する寺院に転居した。T村の寺院には、1958年までは出家者が居住していたが、大躍進運動が開始されると彼らはミャンマー側へ逃亡し、文化大革命中には寺院そのものが破壊される。寺院は1984年に再建されたが、当初は「無住寺」で、女性修行者が住んだ方が管理しやすいこともあり、T村の村人たちは彼女たちを受け入れた。 瑞麗で「無住寺」は珍しくない。2009年現在、瑞麗市内には仏教関係施設が118存在するが、そのうち出家者や女性修行者が居住するのは29寺院のみである。118のうちにはタアーン族の村の6寺院が含まれているが、すべて「無住寺」である。また住職がいない寺では、女性修行者が管理するケースも見られる。2009年に筆者が行った調査によれば、瑞麗市内に女性修行者は13寺院に20名が居タイ族がタアーン族の村へ出稼ぎに行っていたという。中国側でもタアーン族が作った農作物をタイ族の市場で売るというように、生業を通じた関係で結ばれてきた。タアーン族がタイ族とともに上座仏教を信仰するのも、歴史的にこうした関係が築かれていたためであろう。 また同民族間の日常会話では各民族語が使用される一方で、ムン・マーウ盆地では1950年代までタイ語がリンガ・フランカとして通用していた。しかし1960年代から70年代にかけて、ムン・マーウ盆地内のリンガ・フランカがそれぞれの国語、すなわちミャンマー側ではビルマ語、中国側では漢語に替わった。そのためタアーン族の女性修行者がミャンマー側から中国側へ移住した場合、タイ語または漢語の習得から始めなければならない。こうした言語や国家の境界を越え、なぜ彼女たちはT村に移住してきたのだろうか。住していたが、興味深いのは、そのうちタアーン族が6寺院に12名と、タイ族より多数を占めていたことである。タイ族の村人たちに尋ねると、タアーン族は正直で、寺院内の物品が紛失することもなく、もともと山住みの民族であるため労苦を厭わずに寺院境内を掃除して清潔に保っており、村人たちも女性修行者のことを信頼しているという。タアーン族の女性修行者も、タイ語を習得すると、村人たちのことを「養父(ポーレン)、養母(メーレン)」と呼ぶようになる。彼らとの間には擬制的な親子関係が結ばれており、村人たちは機会があれば寺院を訪れ、女性修行者に寄進する。タイ族の村の寺院で住職を務めるタアーン僧。摘んだ茶葉を乾燥させる女性たち。ミャンマー・シャン州ナムサンにあるタアーン族の村。タイ族とタアーン族の相互依存的な関係 以上の事例に共通するのは、民族間の境界を越えた関係が、相互に不足している部分を補うかたちで築かれる点である。出家者の少ない中国側のタイ族の村人たちにとっての寺院管理者、あるいは経済条件に恵まれないミャンマー側のタアーン族にとっての寄進の品々は、相互の仏教実践に不可欠な存在であり、これらに対する必要性が平地と山地に分かれて居住するタイ族とタアーン族の関係をとり結んでいるのである。タイ族の村は経済的に豊かで出家者も少ないため、寄進が集まりやすいというメリットがある。ミャンマー側では特に1990年代後半以降、中国茶との価格競争などによって販売価格が下落し、ナムカムのタアーン族の村の寺院は経済的に厳しい状況におかれている。にもかかわらず出家者は多いため、寄進集めに苦労しなければならない。このような経済条件の相違もあり、彼らはタイ族の寺院に居住することを厭わないのである。中国側のタアーン族の村。瑞麗市T村徳宏州9

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