7Field+ 2013 07 no.10アルジェか。それが北アフリカでは「フォッガーラ」と呼ばれる地下水路を利用した水利システムなのである。フォッガーラの起源地は、イランとアゼルバイジャン一帯で(「カナート」と呼ばれる)、アフリカからユーラシアにかけての砂漠地帯に広く分布するが、南米や韓国にもその技術は伝わっている。日本でも三重県や奈良県に同様の水利システムがあり「マンボ」と呼ばれている。 フォッガーラの構造は立坑と横坑から成り、地下水の浸みだしとともに大気中の水分を巧みに結露させるすぐれた乾燥地の水利システムだ。横坑を流れる水はやがて地表に出て、櫛形の分水器(カスリー)を通じて、いくつものオアシス農園に水を供給する(図1、写真3)。農園に到達した水は一旦貯水池に貯められ、数日に一度の割合で農園に植わったナツメヤシ、コムギなどの作物に灌水がおこなわれる(写真4)。人間の飲み水もフォッガーラ水に頼ってきた。 イランでは横坑の全長が数十キロメートルにもおよぶ長大なものがあるが、サハラ・オアシスのフォッガーラは、長くてもせいぜい十数キロメートルで数百メートル程度のものも多い。ただし基本的な構造は世界中で同一だ。 イン・ベルベルをはじめとしたサハラ・オアシスの場合、水を配分する責任者は、長い間イマーム(イスラームの導師)であった。水が貴重なオアシスの農業では厳密な水配分が必要不可欠だ。自分の農園に少しでも多くの水を引きたいとは誰しもが考えることだ。そこで博識かつ宗教的素養をもつイマームの出番となるのである。しかし、アルジェリアの場合、社会主義政策によって、それぞれのオアシスに「水管理委員会」がつくられ、水利権と宗教の分離がおこなわれたのである。オアシスの暮らしの変化 「砂漠の知恵」によって長い間続いてきたオアシスの暮らしは、この40年で大きく変わってきている。たとえば、フォッガーラのみに頼ってきた水の供給の大部分は、今や150メートルの深さから汲み上げられる水にとって代わられ、日干しレンガの家屋は、コンクリートブロックのものに建て替えられている。さらに、2006年には、イン・ベルベル・オアシスの近くに天然ガス発電所ができ、ほとんどの家に、空調機(エアコン)、冷蔵庫、冷凍庫、テレビが備わっている。携帯電話も2012年10月から通じるようになった。 オアシスの食生活も大きく変化した。老人から聞いた話では、1970年頃までは、「ラーディ」と呼ばれる小麦粉を練ったものが主食だったそうだ。現代では、北アフリカでよく食されるクスクス、マカロニ、コメがよく食べられる(写真5)。「クスクス」の原料はコムギであるため自家栽培も可能だが(コムギを買う場合もある)、コメはスペイン産、マカロニもオアシスの外から運ばれてくるものだ。 デーツ(現地ではアラビア語で「タムル」と呼ばれる)は以前は朝食として食べることもあったそうだ。今でも、「おやつ」としてよく食べる。料理の調味料やお菓子にも利用されることもある。みんなでデーツを食べるとき、品種が話題にあがることもよくあり、ナツメヤシ、デーツに対する人々の関心は変わることはない。しかし電気が通じて以来、長期保存と食味保持のためにデーツを冷凍することが増えてきた。冷凍保存に適するデーツは、軟らかい食感の品種である。自然の条件下で保存性が高い、硬い食感の品種に対する嗜好は減少しているように見受けられる。もしかしたら、イン・ベルベルのナツメヤシはすべて軟らかい品種となってしまうかもしれない。オアシスの篤農家と将来 イン・ベルベルの人口はこの100年で34倍にも増え、限られた農園面積では、オアシスで生活しつづけることは難しい。オアシスの人々は農地の拡大を望み、政府も揚水井戸の設置などでこうした要望に応えようとしているがそれには限界がある。若者の多くは、オアシス外に仕事を求め、オアシスから流出していく傾向が続いている。オアシスの人口涵養力を考えれば仕方がない気もするが、若者の流出が続けば、オアシスは衰退の一途をたどることになるのだろうか。 ただ、調査を通じて出会った人や出来事の中に、オアシスの明るい将来を予感させるようなこともある。イン・ベルベルから東に10キロメートルに位置するマトリユーヌ・オアシスのブージィマアさんは、もともと自分の農園を持たない「小作農」であった(写真6)。ザーウィヤと呼ばれる北アフリカ独特の共有農園、あるいは他人の農園で働き、収穫物の一部を得て暮らしていたのである。しかし、1980年代に始まった深井戸掘削と農地拡大政策によってブージィマアさんは自分の農地を所有することができた。農業の技術と知識に関して、長年農園でコツコツと働いてきた氏の右に出るものはいない。彼の農園は軌道に乗り、ナツメヤシをはじめとした農作物を売り、6頭のラクダを貯蓄することもできた。ある日ブージィマアさんは、都市の大学で勉強する長男のために、3頭のラクダを売り、パソコン購入費用を捻出したのである。ブージィマアさんの長男がマトリユーヌに戻り、跡を継いで農民となることはまずないだろう。しかし、オアシスで育まれた恵みがオアシス出身者の将来に役立ち、やがてその人物がオアシスになんらかのフィードバックをするときにこそ、オアシスの未来が開けてくるに違いない。アルジェリア写真3 櫛形分水器(カスリー)。写真4 ナツメヤシの樹間にコムギが植わっている。写真6 オアシスの篤農家、ブージィマア氏。写真5 日常的に食べられるようになったクスクス。イン・ベルベル
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